遠い遠い夢の世界... > グリーグコーナー > 抒情小曲集に寄す > 第10集

 

抒情小曲集に寄す 第10集


 

60. Det var engang / Es var einmal / Once upon a time op.71-1
 昔々

 
 スウェーデンの民謡「ああ美しいヴェルメラン (Ack Vaermeland, du skoena) 」は、ヴェルメラン地方の人々が郷土への愛を唄う、美しい唄です。グリーグの「昔々」はABAの三部形式で、そのA部はこの唄をもとに作られたとされています。率直に言うと私は元唄のほうが好きです。B部はノルウェーの村の踊り、スプリングダンスです。
 このような構成になっているのは、「昔々」が作曲された当時、スウェーデンの統治下にあったノルウェーで分離独立への気運が高まっていたことと関係があるようです。グリーグはスウェーデンの中にノルウェーがあった時代を「昔々」と表現しようとしたのかもしれません。
 同時に、それは忘れ去りたい過去ではなく、これから共に歩む良き隣人との思い出のひとこまであったのだと思います。「昔々」の出版の4年後(1905年)にノルウェーはスウェーデンから平和的に独立を果たします。
 
 パブロ・カザルスの「鳥の歌」を初めて聞いた時、「ああ美しいヴェルメラン」かと思いました。出だしがほとんど同じに聞こえたのです。もちろん、「昔々」にも似ています。
 「ヴェルメラン」は美しい郷土を讃える唄、「昔々」はスウェーデンと友好を保ちながら平和のうちに独立をめざしたノルウェー人の歌でした。カザルスの「鳥の歌」がそれらとよく似ていたのは、偶然というより当然であるように思われてなりません。
 2003年7月22日(7月24日修正)
 

61. Sommeraften / Sommerabend / Summer's Eve op.71-2
 夏の夕べ

 
 この曲に「なんて世界は美しいのだろう!」という言葉を添えたピアニストがいらっしゃいます。それにまさる言葉はありません。
 
 世界は美しい。 どんなことがあっても、なお
 2003年7月22日
 

62. Smaatrold / Kobold / Puck op.71-3
 パック(小さなトロル)

 
 作品54の3「トロルの行進」がどちらかというと大きなトロルを想像させるのに対して、こちらはノルウェー語タイトルのとおり、小さなトロルです。
 気のせいですが、ムソルグスキーの「展覧会の絵」の中のいくつかの曲に近いものを感じます。
 
 この曲についてはエミール・ギレリスの演奏がおすすめです。ニュアンスがよく表現されています。
 
 (こわれかけの調性。)
 2003年7月23日
 

63. Skovstilhed / Waldesstille / Peace of the Woods op.71-4
 森の静かさ

 
 スヴャトスラフ・リヒテルが最後の日本公演でグリーグの抒情小曲集を弾いたのは、クラシック音楽ファンにはよく知られているようです。たしか神奈川でリサイタルの後半を抒情小曲集だけで組んで、それをFMで聴いたことがあります。そのリサイタルの様子は何かの本にも書かれ、いわば伝説化しています。そのリサイタルの最後にロ長調のゆっくりした曲が弾かれました。それが、「森の静かさ」です。
 
 グリーグは年少の頃に肺を患い、それ以降片方の肺しか機能しなくなり、息が切れやすかったそうです。が、それをおしてたびたびノルウェーの山岳地帯に入り、森を歩き回っていたと伝えられています。
 Skovstilhedは「森の静けさ」と訳されていますが、たぶん音がしないという意味の静けさではなく、英語のstillのように「おだやか」とか「動かざる」とか「変わらない」とかいう意味あいだろうと思います。鳥がにぎやかにさえずり、小川や遠くの滝の音が聞こえ、時に樹々が風に激しく葉を鳴らす、それでも森は微動だにせず、悠久としてある。そのことだろうと思います。
 ほぼ全曲を通して、特徴ある音形の伴奏が低音部に流れます。その伴奏の上で、おだやかな、時には楽しげな、時にはもの憂げな、時にはまばゆい、旋律が奏でられます。私には伴奏音型が森の不動さを象徴しているように思われます。その不動なる森の中で、鳥が鳴き、風が吹き、陽が射し、人が歩き、たたずみます。
 それまでのグリーグの作品の中でもきいたことがないような独特の音型と不思議な和音に満ちています。終わりには、低音部で曲を支え続けてきた音型が高い方へと展開され、天に昇っていきます。
 グリーグは信仰上の悩みを折々抱いてきたそうですが、晩年にはいわば汎神論的な境地にたどりついたようです。自然を讃える言葉をいくつも残しています。
 いっぽうでグリーグの晩年は、ほとんど強迫的に、コンサートツアーでヨーロッパ中を駆け回る、休みない日々でした。不眠と呼吸困難に苦しみ、しかし医者が制止してもきかずに旅に出てはステージに立ち、倒れて静養し、またツアーに出るという様子だったそうです。グリーグは亡くなる直前、ベッドの上で上体を起こし、うやうやしく一礼をしたと伝えられています。
 そのグリーグが最後にまとめた抒情小曲集の中に、この「森の静かさ」があります。
 
 永遠なる森。
 2003年7月23日
 

64. Halling ( Norwegischer Tanz / Norwegian dance ) op.71-5
 ハリング(ノルウエー舞曲)

 
 作品38の4や作品47の4のハリングは素朴で、踊りの伴奏の奏楽としてのハリングでした。が、このハリングは、踊りそのものです。指と手と腕が跳ね回ります。ハリングの奏楽そのものはここまで激しくはない(はず)なので、この曲はまさにハリングの踊りを音にしたものだと思います。
 トロルハウエン(Troldhaugen)のグリーグミュージアムのウェブページに、この曲は『ノルウェー農民の生活より』作品19の第2曲「婚礼の行列」の主題が使われているとあります。読むまで気づきませんでしたが、たしかにそう聞こえます。
 
 曲の最後に、Doppio movimento(2倍の速さで)と指示された箇所がありますが、ここをほんとうに2倍速で弾いている演奏をまだ聴いたことがありません。はたして人間にそれを弾くことが可能なのでしょうか。
 ハリングは限界に挑む踊りです。
 
 グリーグは晩年に革新的な作品をいくつも生み出しました。自分の限界を超え続けた作曲家でした。

 ハリングを踊っていたのかもしれません。
 2003年7月24日
 

65. Forbi / Voruber / Gone op.71-6
 過去

 
 たしかアシュケナージだったのですが(ちがうかもしれません)、NHKの番組でチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の話をしていて、第1楽章の終わり、ロ長調での第2主題再現が終わったところで現れる、弦の下降するピッツィカート上で新しい旋律が登場する部分(ちがうかもしれません)が、葬送を意味していると語っていました。
 ロシアでは昔、葬送の時に教会の鐘を下降音階(ドシラソファミレドのような)で鳴らしたそうなのです。それを聞くと人々は誰かが亡くなったと知るのだったそうです。だから、その伝統文化を知っている人はこの部分の意味がわかる、音楽を理解するには文化を知ることが大切なのだ、みたいなことを語っていました。
 
 グリーグの「過去」の楽譜のタイトルの上に、小さく、(In Memoriam) と記してあります。舘野泉さんの楽譜解説を読むまで気づきませんでした。亡くなった人の想い出に、という意味になるはずなのですが、誰なのか、書かれてはいません。
 「過去」は下降する半音階進行のフレーズで始まり、それが何度もくり返し現れます。リフレインと言ってもいいかもしれません。
 
 「高い」音、「低い」音、という表現がありますが、周波数が大きい音(ピアノで言えば鍵盤の右の方の音)をなぜ「高い」と言い表すのでしょう。たしかに、ピアノの右の方の音は、左の方の音よりも「高く」聞こえる気がします。聴覚心理学的に研究された知見をどこかで見たような覚えがありますが、なぜなのだったかは覚えていません。「なぜ」は研究ではわからないものかもしれません。
 「過去」では、下降半音階をはじめ各フレーズの最初は高い音で、しかもアクセント記号が必ず付いています。聴くと、まるで空の高い所から光が射すような感じがします。下降半音階のフレーズは、とくに最後のものは、天の高い所から強い光が降りてくるようです。雲の切れ間から差す太陽の光が条になって見える「ヤコブの梯子」を私は想います。
 グリーグが下降半音階やこの曲の中の「高い」音に、どのような意味を込めていたのか、私は知りません。込めていた意味を、認識するのでなく音楽として感じとることができるのか、現に感じとっているのか、いつか感じとる時があるのか、それもわかりません。
 音楽が私にとって「与えられた」ものである以上−−たとえ私に対して与えられたわけではないにしても−−、最後には、与えられてきたかぎりを、ただただ聴く、それしかないのかもしれません。
 
 天から降る音があるとしたら、それは誰かの涙だということはないのでしょうか。
 2003年7月28日

66. Efterklang / Nachklange / Remembrances op.71-7
 余韻(思い出)

 
 
 三部形式の再現部が少しだけ悲しいことを、私はいつ誰から教わっただろう。
 
 この曲は、抒情小曲集の最初の曲「アリエッタ」をワルツ風にアレンジした曲です。アリエッタはA1A2の二部構成でしたが、「余韻」は中間部が入った三部形式をとっています。
 グリーグがこの「余韻」で『抒情小曲集』をしめくくるつもりだったのはまちがいありません。
 
 当時、グリーグは売れっ子の作曲家でした。『抒情小曲集』は新しい巻が出版されるたびに数多く売れ、出版社はグリーグから新曲の原稿が届くのを心待ちにし、催促もしていたようです。
 いっぽうでグリーグは歳をとるにつれ、自分の健康のおとろえを強く感じるようになり、出版社の求めに応じて『抒情小曲集』を作るのが重荷になっていったようでした。
 音楽にクレッシェンド(音が強くなること)やフォルティッシモ(とても強い音)だけでなくディミニュエンド(音が消えていくように弱くなること)があるように、人生にもディミニュエンドがある。自分は今ディミニュエンドの時を迎えた・・グリーグは57歳の1900年に、親しかった出版社の社長にそんな手紙を書いています。その1年後に、『抒情小曲集』の最後の巻、第10集が出版されました。グリーグが亡くなったのはさらにその6年の後でした。
 
 レコードが開発されたばかりで、ラジオもテレビもない当時、音楽家の売り物はコンサートと楽譜でした。人気アーティストのグリーグは数年に1度『抒情小曲集』の新作”アルバム”を発表し、ヨーロッパ中をライヴツアーで回りました。ファンはそのライヴを聴いたり、アルバムを買って家のピアノで弾いたことでしょう。そして、次の新譜を待ちこがれたにちがいありません。グリーグが体調がすぐれないという噂を聞いてはいたかもしれませんが、それでも熱心なファンは、次の『抒情小曲集』がいつ出るだろうかと、待ち続けたことでしょう。グリーグの状況が伝わらない田舎で、数年に1度本屋に来る『抒情小曲集』を欠かさず買って、小さなアップライトピアノで弾くのを数十年にわたって楽しんできた人も、いたことでしょう。
 『抒情小曲集』を閉じると決めたとき、グリーグは何を思ったでしょう。ファンのことを思ったでしょうか。
 
 「余韻」は、グリーグ自身の感慨の表れであるのもさることながら、長年にわたってグリーグを応援してきたファンへのお別れの挨拶でもあったかもしれない、と思ったりします。
 
 (三部形式の再現部が少しだけ悲しいとしても、それはほんの、少しだけ、だ。悲しく弾かれてなどなるものか。宴は終わっていないのだ。踊ろう。唄おう。美しく、軽やかに。踊りと唄が続いている間は、宴は終わってはいないのだ。さあ。一緒に。踊ろう。唄おう。・・・・・・
 
 消えていくことは、終わることではありません。
 2003年7月31日
 


 

抒情小曲集に寄す 目次へ
 
グリーグコーナー トップページへ
 
遠い遠い夢の世界... トップページへ

さんちろく