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抒情小曲集に寄す 第3集


 

17. Sommerfugl / Schmetterling / Butterfly op.43-1
 抒情小曲集の中でも第3集(作品43)には有名な曲が多いです。この「蝶々」も有名曲です。グリーグ自身の演奏が残っているということでも有名です(・・しかし、誰にとって・・)。
 この曲を現代のピアニストが弾くと、きまじめな曲になることが多いですが、グリーグの演奏はしゃれています。音を手先で小ぎれいにまとめることはせず、むしろ曲の質感が指を通して鍵盤の上にあふれ出ているみたいな、自由な演奏をしています(昔のピアニストはだいたいそうだったみたいですが)。
 ひとつおもしろいのは、13小節目から14小節目に入るところに、間(ポピュラー用語で言うブレイク)が入ることです。譜面にはありません。第14小節は一時的にロ長調に転調しているのですが、グリーグはかなりゆっくりと弾いていて、直前とのコントラストがきわだっています。
 グリーグの演奏は今では「まるで宇宙人が弾いてるよう」な時代掛かった演奏だと言われたりしますが、私などは逆に、ピアノ演奏が今のように小ぎれいになってきたその途中で、グリーグの曲を弾く上でこれを落としてしまっては音楽にならないような重要な何かを、落としてしまってはいないか?と思ったりします。
 2003年6月8日
 

18. Ensom vandrer / Einsamer Wanderer / Solitary traveller op.43-3
 「孤独なさすらい人」
の邦題で知られています。私には、さびしい曲というより、はっとするような瞬間が多々ある美しい曲です。
 2003年6月9日
 

19. I Hjemmet / In der Heimat / In my native country op.43-3
 ふるさとで

 
 考えてみると、この曲があるから、私はピアノ音楽を嫌いにならずに今日まで来られたのかもしれない。
 この曲を知るまで、私にとってピアノ音楽は、華々しい、あでやかな、優雅な、情熱的な、猛々しい、貴族的な、・・自分にはいくらか遠い所の音楽だった。もちろん美しいし心を打つし憧れるのだけれど、どこか自分とは異質の、自分はその中ではほんとうには呼吸ができないような、そんな音楽だった。
 「ふるさとに」を知って、はじめて私は、楽になった。こんなにも淡々とした、朴訥とした(そんな言葉はまだ知らなかった)おだやかなピアノ曲があったなんて。それも、心になじむ節回しの。
 私は物心つく前、親からたくさんの童謡や唱歌を聞かされていたらしい。覚えている歌は実際のところそんなに多くない。ただ、ときどき、耳にした音楽に何かの拍子でとても懐しい気持ちを感じることがある。そういう音楽は往々にして、アウフタクトが薄くて1拍1拍をとつとつと歌うような音楽だったりする。
 音楽にも、故郷があるのにちがいない。
 
(嬰ヘ長調、Poco andante、4分の4拍子。妻ニーナの故郷デンマークに滞在中のグリーグが、自分の故郷を想って作ったと言われている)
 2003年6月15日
 

20. Liden Fugl / Voglein / Little bird op.43-4
 小鳥

 
 グリーグはしばしば自分の曲に鳥の鳴き声の音型を取り入れています。ピアノ作品だと「夜想曲」作品54の4、歌曲「黙ったナイチンゲール」作品48の4、「かわいいシルステン」作品60の1、「鳥が鳴き叫んでいる」作品60の4、・・他にもいろいろ。
 どれもけっこう独特な音型で、グリーグ自身が耳にした鳴き声を採譜してそれを使ったケースもあるようです。『鳥のカタログ』を作ったメシアンほどではないにしても(ちなみに私は『鳥のカタログ』も大好きです)、グリーグは鳥の声をかなり敏感に聴いていたように思います。
 この「小鳥」も、一見(一聞)するとトリルを効果的に使った佳くまとまっている曲、ですが、よく聴いていると、さえずりだけでなく地鳴きが聞こえてきたり、いくつかの種類の鳴き声が絡まっていたり(別の種類の鳥なのか、鳴き方が違うのか?)、いろいろな楽しみ方ができる味わいある曲です。
 抒情小曲集第3集の曲はどれもですが、ピアノを戸外に出してどこか森や林の中で弾いてみたくなります(できない・・)。
 2003年6月15日
 

21. Erotik op.43-5
 愛の曲

 
 抒情小曲集第3集では右手と左手がユニゾン(同じ旋律を同時に奏でる)をはじめとした様々な協応をみせていますが、この曲はとくに味わい深いです。
 二人が愛を交わす歌です。聴いたり弾いたりしてこの曲に触れると、まさに身でも心でもそれを感じます。(・・書いていて少々恥ずかしい。)
 グリーグは、この曲の後半部、右手と左手が交互に旋律を奏でる所で、左手が右手にほんとうに応えているように弾いたそうです。グリーグ夫妻(エドヴァルドとニーナ)はたいへん仲むつまじい夫婦だったと伝えられています。
 1886年、グリーグ43歳頃の作品です。この10数年後に作曲された「あなたのそばに」作品68の3とあわせてお聴きになられてもいいかもしれません。
 イタリアのピアニスト、アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリが愛奏していた曲としても知られています。
 2003年6月17日
 

22. Til Foraaret / An den Fruhling / To the Spring op.43-6
 春に寄す

 
 [たぶん特別な曲なのだと思う。ノルウェーの冬は厳しく、春は遅く来るらしい。花がいっせいに咲くらしい。人々は春を待ちわび、やってきた春を大喜びで迎えるらしい。その北国の人の熱い心が、この曲にはあふれているらしい。
 ・・私にはこの曲がわからない。わからないまま弾いてきた。これまではわからないのが苦になることはなかった。私なりに弾こうと思っていたところがあった。が、いま、この曲が私からとても遠い所にあるのをあらためて感じている。距離などというものではない。歩いていけばいつかたどり着けると思うことができる場所ではない。同じ平面の上にない、私と地続きになっていないどこか遠い所。]
 
 以前、テレビアニメの「トムとジェリー」を見ていた時、この曲が流れたことがあります。「トムとジェリー」は30分番組で短篇のアニメーション3本が放映され、うち真中の1本はトムとジェリーが登場するのではなく毎回別のお話のアニメでした。その別のアニメのある日の話で、どんな話だったかはほとんど思い出せないのですが、ラストシーンで野原いっぱいに花が咲き始めるシーンがあり、そのシーンでこの曲が流れたのです。
 オーケストラで演奏されていました。最初はこの曲だとは気づきませんでした。曲の終わりに、ピアノ原曲で言うと高音部でメロディーを奏でてきた右手が半音ずつ上昇していく箇所があるのですが、アニメのオーケストラ編曲版ではその上昇がとてもあざやかで、私はその時はじめて「ああ、ここは半音ずつ上がっていってるんだ」と気づいたほどでした。
 その後この曲のいろいろなピアノ演奏を聴きましたが、あの時のようなあざやかな演奏を聞いたことがありません。
 
 この曲は最近はゆっくり奏でられることが多くなりましたが、譜にはAllegro appassionato (速く、情熱的に)という指示が付いています。グリーグ自身のこの曲の演奏録音が残っていますが、グリーグはとても速いテンポで弾いています(もっとも、グリーグの演奏は「飛ばしすぎ」の傾向があったそうですが)。中間部の3段譜になる箇所からの和音連打は荒々しいほどです。しかも聞こえるかぎりでは、メロディーラインに譜面にはない左手がユニゾンで加わって、響きを厚くしています。
 
 [・・この曲がわからないとなると、私にはいったいグリーグの何がわかっているのだろう。]
 2003年6月17日
 
 ★ ★ ★
 
 …ピアノを弾く時間がほとんどとれないなか、いま好んで弾いているのがこの「春に寄す」です。もっぱら「練習」で終わってしまいますが…。
 あらためて考えると、この曲、『ヴィニエの詩による歌曲集』op.33(作曲1873-1880年)よりも後の作品です。抒情小曲集第3集の各曲は1886年の作だとされていますので。『ヴィニエの詩による歌曲集』には弦楽合奏編曲で有名な「春」や「胸の痛み」が含まれています。これらの歌には老境に至った詩人がいまひとたび迎えることができた春への思いがこもっています。
 これらの詩を知った後のグリーグが、春に寄す曲を作るとき、それはヴィニエの「春」の思いと無縁ではきっとなかったろうと私は思います。このひとつの春をいまひとたび迎える思い。
 
 「春に寄す」はピアノ曲ですが、いま私には、この曲は歌曲のように思えます。ピアノのための歌曲。
 ひょっとしたら、二重唱かもしれません。
 2010年2月27日
 


 

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