30. Gjaetergut / Hirtenknabe /Shepherd's boy op.54-1
羊飼いの少年
この曲を初めて聴いた時、誰か人がしゃべっているように聞こえてびっくりしました。
ショパンのマズルカop.17-4を初めて聴いた時もそうでした。半音程の楽句がうなるように聞こえたのです。今でも私にはあのマズルカは不気味です。
この「羊飼いの少年」は、ノルウェーで放牧の時に吹く笛の音にグリーグが霊感を得て作ったそうです。そう言うと素朴な曲と思われるかもしれませんが、この曲に関してはそうではなく、後年の作品にみられるような、音の中に眠っているものを掘り下げ掘り起こしていこうとしているかのような強い求心性があります。私はこの曲の響きの連なりに息を飲みます。
2003年6月22日
31. Gangar / Norwegischer Bauernmarsch / Norwegian march op.54-2
ガンガル(ノルウェー農民の行進舞曲)
これぞグリーグ!と言いたくなる曲が抒情小曲集の中にいくつかありますが、このガンガルはそれです。はずみます。単純なアイディアで出来ている曲ですが、絶妙です。スプリンガルは私はうまく弾けませんが、この曲は愛奏してます。
ガンガルについては残念ながら私は詳しく知りません。行進しながら踊るというか踊りながら歩き進むというか、そういう舞曲らしいです。グリーグの作品では8分の6拍子の形をとることが多いです。この曲もグリーグ自身の演奏が残っています。行進ということで6拍を3+3拍の2拍子系にとらえがちですが、グリーグは楽譜に書かれたアクセントを強調して、2+2+2の3拍子のリズムも出るように、ポリリズム的に弾いています。
グリーグの演奏で驚いたことがあります。曲の半ばで音が高音域に移っていって、とてもかすかなpppで奏でられ、それがしだいに音域が下がってきて音量も増してfになる部分があるのですが、グリーグはそのクレシェンドをとてもなめらかに行っていて、聴いていて音量がまるでボリュームつまみをゆっくり回していくみたいに上がっていくのです。最初は何か電気的な仕掛けを使ったのかと思いましたが、グリーグの時代、そこまで凝った録音ができるはずがありません。グリーグの腕でしょう。ある意味、聴衆を喜ばすための「効果」を狙ってもいるのでしょう。今のピアニストの演奏でそんな演奏は聴いたことがありません。そんなところに凝るより内容をしっかり弾かねば、というところでしょうか。だとしても、グリーグのあの演奏の魅力は疑えません。彼自身はいわゆるヴィルトゥオーソ的ピアニストではなかったようですが、彼の時代の音楽は、今よりももっと名人芸的なものでした。その一片が、今でも魅力を持って、グリーグの録音に残されているように思います。
・・というより、あの天から降りてくるようなクレシェンドは、それこそが美しい音楽、です。
2003年6月23日
32. Troldtog / Zug der Zwerge / March of the dwarfs op.54-3
トロルの行進
トロルはノルウェーにいるとされる妖精です。妖精といってもティンカーベルみたいなかわいい姿の・・というより、むしろおどろおどろしい、日本で言う「妖怪」に近い存在のようです。しかし妖怪が恐ろしいものばかりでなく中には愛矯あるものもいるように、トロルもこわがられているばかりではなく、ある意味親しまれてもいるようです。
この曲はけっこう有名です。思いがけないところで(特にテレビ番組)聞かれます。グリーグが見たら怒り出すんじゃないかと思うような「使われ方」もまま見受けられ、正直なところそれはそれで楽しいです。(実例をあげたいですが、品が落ちそう・・)
ABAの三部形式で、A部はペールギュントのいわゆる「山の魔王の宮殿にて」の雰囲気に似ていますが、B部はそれとはあざやかなコントラストで、かわいらしくきれいです。ピアニストによっては(ギーゼキング等)チョロチョロとかポコポコとかいう感じのなんとも妙なる音を鳴らしています。
ちなみに、私は低音のオクターヴをいつも外してしまいます。
2003年6月23日
33. Notturo op.54-4
夜想曲
途中に、鳥の鳴き声を模した有名な9度の和音が響く箇所がある。この和音は7度の和音のように現れるが、その部分(鳴き声)が終わった後に根音が静かに鳴らされ、9度の和音として構想されていたことがそこでわかる。初めてこの曲を聴いた時にはほとんど衝撃に近い印象を受けた。グリーグ自身によるオーケストラ編曲版(「抒情組曲」として知られる)ではこの根音は短く切られて、9度の姿を見せるのはほんの一瞬だが、この原曲のほうは、一瞬よりは少しだけ長い。
しかし何度も聴いて曲をおぼえてしまうと、最初に7度の和音として現れた時からもう9度の響きが想われてしまう。初めてこの曲を聴いた時のようにこの曲を聴けないだろうかと、思う。
美しい曲。今のこの私にも、なお美しく響いてくる。
2003年6月24日
34. Scherzo op.54-5
スケルツォ
グリーグの曲にはABAの三部形式でありながらB部の主題がA部の主題と共通している曲がいくつかある。分析的に聴いていない時にはそれと気づかないことがあるほどA部とB部の印象が違うにもかかわらず。このスケルツォもそうした単一主題の曲で、暗い主題が軽くきびきびと、時にテンペスト的に走り抜けるA部と(伴奏部にも主題の音型が使われている)、陽の光がおだやかに差すB部が、あざやかな対照を成しながらひとつに統べられている。
澄みとおった音で弾かれるのが聴きたい。それも、少し離れた所から、ひとりごとをつぶやいているように奏でられているのを聴きたい。
2003年6月24日
35. Klokkeklang / Glockengelaute / Bell ringing op.54-6
鐘の音
たしか昼の鐘だった。どこでそう読んだのか覚えていない。どうあれ、昼の、それも晴れた空の下の時計台の鐘の音。そうでなければこの白昼夢にはならない。
グリーグの前衛性が語られる時にしばしば引きあいに出される曲。グリーグ自身「狂った和声」と言っていたという、単純な5度の組み合わせから成っているのに機能和声の面影を片鱗しかとどめていない音響。(それでもなお、調性音楽であり続けている。)
ドビュッシーをはじめとした新しいフランス音楽からグリーグが影響を受けたとか、逆でグリーグがドビュッシーやラヴェルに影響を与えたとか、グリーグの音楽の「新しさ」を音楽史的に捉えるときに語られる影響関係の話がある。ただ、この曲に立ち止まって聴いていると、たぶんこの曲は、突然変異なのだろうと思われてくる。音楽史上の突然変異。楽音でなく、今そこで鳴り響く音に耳を傾けたことから生じた、そしてそれをまどろむ夢−−白昼夢であったにちがいない−−の中から生じた、自由な偏位。
あるいは、単独者。他との比較を絶するほんとうの単独者。
〔弾く際には、前打音が付いた5度和音に必ずテヌート記号が付されていることに注意されるといいと思う。〕
2003年6月24日