遠い遠い夢の世界... > グリーグコーナー > 抒情小曲集に寄す > 第6集

 

抒情小曲集に寄す 第6集


 

36. Svundne Dage / Entschwundene Tage / Vanished days op.57-1
 過ぎ去りし日々

 
 感傷的、という言葉がsentimentalの訳語であるのは理解しているけれど、それにしても、「甘い感傷」とは何のことだろう。傷を感じている時、それはただただ痛いばかりだ。
 甘く美しい音楽を聴いて、自分の傷を思い出して痛むということはたしかにあるだろう。でもこのとき、傷を感ずることに「甘み」があるのではないだろう。聴いて傷を感じている本人は、ただただ痛いばかりだろう。(この様子を他人が見て「甘ったるい」と感じることはあるかもしれない。このとき、「甘い感傷」は観察者の幻想の内にあるのだろう。)
 音楽が、つまり音楽それ自身が、傷を感じて痛んでいることもある。聴く人にその人の傷を感じさせるというより、音楽自身の傷が聴く人に痛ましい、そういう音楽がある。そのとき、その音楽はまた別の意味で「感傷的」であると言えるだろう。しかし、「甘く」はないかもしれない。
 (痛ましいとき、その痛ましさにおいてまさしく、傷は誰の所有物でもないだろう。誰が痛いのでもないだろう。)
 
 (観察者よ、君は痛まないか)
 2003年6月28日
 

37. Gade op.57-2
 ゲーゼ

 
 軽やかな追悼。
 
 [ゲーゼ Niels Wilhelm Gade (1817-1890)はデンマークの作曲家。若い頃のグリーグにいろいろな意味で影響を与えたようである。この曲はゲーゼを偲んで作られたとも言われる。テンポ良く端正に始まるが、曲が進むにつれ和声進行が突飛になり、読譜に支障があるようで、まちがった音で弾かれることもしばしば。終わりに近づくとだんだんとしみじみした口調になるが、最後まで明るく、軽やか。]
 2003年6月28日
 

38. Illusion op.57-3
 まぼろし

 
 葬送行進曲が葬列の一団が歩む音楽なのなら、葬儀でではなく、葬列の中をではなく、ひとりで歩く、そのときの音楽というものがあっていい。
 秋。並木道。あざやかに自らを彩った高くそびえる樹々。静かな風。晴れた空。俯きかげんに歩く。落葉を踏む。
 その、感じられるどの感触の中にも、あの人はいない。
 
 心にたずねる。
 2003年6月30日
 

39. Hemmelighed / Geheimnis / Secret op.57-4
 秘密

 
 それまでギレリスのLPとクナルダールの第1集・第3集の演奏しか知らなかったのですが、いま思うとそれらは抒情小曲集の中では比較的端正な曲でした。この曲をはじめて聴いた時、とても「つや」に感じました。
 
 むかし、歌だったのかもしれません。あるいは、まだ歌にならない、小さなあこがれ。それがちょっとしたはずみで音になってしまって、そのまま風に押されて窓から外へ。
 
 あこがれはいつも、上へ上へと昇っていきます。
 2003年6月30日
 
 ★ ★ ★
 
…あまり「秘密」っぽくないみたいに言われることがあるこの曲ですが、ひょっとしたら、「秘密」は、中間部にあるのかもしれません。
 あるいは、秘密とは、間に挟み込まれた、閉じ込められたもの、でしょうか。
 
 2009年11月1日
 

40. Hun danser / Sie tanzt / She dances op.57-5
 彼女は踊る

 
 スヴャトスラフ・リヒテルさんのおかげで、抒情小曲集の中のこれまでほとんど知られてこなかった曲が知られるようになりました。「彼女は踊る」を日本の演奏会で弾いた人が彼より前にいただろうか?と思います。
 グリーグの時代のノルウェーの村の踊りは、古くから伝えられてきたハリングやスプリンガルなどの伝統舞踊だけでなく、ヨーロッパの他の地域から伝わってきたポルスカやワルツも盛んで、それらもフィドルで奏でられていたそうです。他地域発祥の舞踊はノルウェーでは比較的歴史が浅いわけですが、今ではガンメルダンス gammeldans (古い踊り)と呼ばれています(つづりは異なる場合があります:gamaldans など)。
 私がCDで聴いたガンメルダンスのワルツは、2拍目や3拍目に2つ音が入っている場合、8分音符×2というよりは16分音符+符点8分音符みたいな、ツィッ、ツィッといった感じの弾き方をしていました。「彼女は踊る」を思い出しました。
 
 今後は、楽譜の指示のとおりに、ラストでサスペンションペダルを使って弾く演奏が聴けたらいいのですが。
 2003年7月1日
 
 ★ ★ ★
 
…「サスペンションペダル」の件。楽譜には「due Ped.」とあります。だいぶ調べましたが、これはダンパーのペダルと弱音のペダル(ウナコルダのペダル)を同時に踏む指示らしいです。上に書いたこと、まちがえてしまったようです。ちなみに抒情小曲集では他にop.62-5「夢景色(まぼろし)」でも同じdue Ped. の指示があります(「2 Ped.」と書いてあります)。自筆譜ではop.57-2の「ゲーゼ」(このページの上のほうです)にも「2 Ped.」の指示があります(第39小節、第88小節)。
 
 2009年11月1日
 

41. Hjemve / Heimweh / Home-sickness op.57-6
 郷愁

 
 エヴァ・クナルダールの「郷愁」を聴いた時、一瞬ちょっと聴き慣れない音がして、あれっ?まちがってる?と思って楽譜を見てみると、クナルダールの出した音のとおりでした。それまで聴いていた他の演奏がことごとく楽譜どおりではない音で弾いていたのです。私自身もまちがえて弾いていました。
 「ゲーゼ」の項で譜の読み違いと思われる演奏がしばしばあると書きましたが、「郷愁」はむしろ違っている演奏のほうが多いです。「郷愁」の中のある特定の箇所を、多くの演奏家が楽譜と違う音で弾いています。大家が弾いた有名な録音は特にそうで、逆にあまり有名でない若い人が弾いた録音とかのほうが、まじめに譜面を読んだのか(あるいは大家の演奏を研究していないのか)正確な音で弾いていることが多いです。そういうことがあるのだなあ、と、ある意味で感心します。
 もっとも、多くの大家が「まちがえて」その音を出しているのだろうか?とも思います。意図的に、なのかもしれません。
 が、この箇所、その「まちがい」音で弾くのと、楽譜どおりの音で弾くのとでは、ニュアンスが違ってきます。フレーズの流れの感じが違うのです。そしてここ1箇所が変わると、音楽の解釈が全然変わるようにも思われます。
 あなたは、どちらの姿の「郷愁」に出あうのでしょう。
 
 (聞こえてくる笛の音、聞こえることのない幻の音。)
 2003年7月1日
 
 ★ ★ ★
 
…「まちがえて弾いている」音について少し。
 2003年のときには知らなかったのですが、ペータース社(グリーグの抒情小曲集などを出版している版元)の『グリーグ全集』第1巻が抒情小曲集にあてられていて、1977年に刊行されています。この全集版では上で私が「まちがい」と書いた音が載っています。その箇所はふつうの楽譜(たとえばペータースのNr. 3100a)とは食い違っています。つまり全集版のとおりに弾くと、ふつうの楽譜とは違った音になります。私が上で「まちがい」と書いたのは全集版では正しい音です。
 数年前からグリーグの自筆の楽譜が一部ネットで読めるようになっていますが、この「郷愁」の自筆譜も2種類、ネットで見ることができます。そのうち1つは印刷用原稿で、ふつう手に入る出版楽譜(ペータース3100aなど)と同じ音が当該箇所に書かれています。しかしもう1つの印刷用でない自筆譜のほうは、その箇所が全集版と同じになっています。全集版の編集者はこの(印刷用でない)自筆譜を参照して、出版されている楽譜は印刷の間違いだろうと判断したということを注釈に書いています。この当時は印刷用原稿はまだ発見されていなかったようです。
 ということで、上に書いた「まちがって」弾いている「大家」の演奏などは、この全集版や、ひょっとしたら印刷用でない自筆譜を読んで演奏されたものかもしれません。大変、失礼をしました。
 
 このことはつまり、いま刊行されている楽譜にはこの問題の箇所について2通りの楽譜があるということです。難しいことです…。他の作曲家の楽譜ではよくあることでしょうが。
 そういうことを知って、私は私なりの判断をしています。しかしどちらかの楽譜しか知らない方、どちらか片方の楽譜に従った演奏のみ知っている方がたくさんいらっしゃるはずです。そうしてみると、どちらが「正しい」のであれ(…どちらが「正しい」のでしょう?誰がそれを決めるのでしょうか)、この2通りの姿がこれからもそれぞれに親しまれ続けていくのは変わらないでしょう。
 
 楽譜と「音楽」との関係が不思議に思えます。
 
 2009年11月1日
 


 

抒情小曲集に寄す 目次へ
 
グリーグコーナー トップページへ
 
遠い遠い夢の世界... トップページへ

さんちろく