遠い遠い夢の世界... > グリーグコーナー > 抒情小曲集に寄す > 第7集

 

抒情小曲集に寄す 第7集


 

42. Sylphe / Sylphide op.62-1
 風の精

 
 昔、森永のハイクラウンチョコレートの箱に妖精の絵のカードがおまけで入っていて、それをなんとはなしに集めていたことがありました(余談:永谷園のお茶づけの東海道五十三次のカードも集めました)。抒情小曲集第5集の「トロルの行進」のトロル(妖精)はおどろおどろしい感じでしたが、「風の精」は私には完全にハイクラウンのカードのフェアリーです。
 やはりノルウェーの作曲家であるハーラル・セーヴェルーのピアノ小品「風のハープの踊り」作品14の6もこれと似た感じのちょろちょろした曲ですが、”風の音”イメージの典型みたいなものがヨーロッパにはあるのでしょうか。ショパンのピアノ曲をバレエ用に編曲した「風の精」も全般的に同じような印象ですし(原曲の印象はともかく)。
 これぞサロン風ピアノ小品、という感じがありますが、しかしそもそも「サロン的」とは何だろう?と思う、今朝も永谷園のお茶づけを食べて仕事に出た私です。
 2003年7月4日
 

43. Tak / Dank / Gratitude op.62-2
 感謝

 
 神さまがいるとしたらあそこだ、と、天を指した詩人がいた。
 
 私にはこの曲は空色に見える。空から聴き取った色。あるいは、空を想う、天に感謝を捧げるときの心の色。
 
 (そういえば、J・S・バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」もト長調。)
 2003年7月4日
 

44. Fransk Serenade / Franzosische Serenade / French Serenade op.62-3
 フランスのセレナード

 
 (フランス?)
 
 ヨーロッパの少し古い時代の石畳の街を想像します。宵のロです。歌っている彼の持つ楽器はギターみたいな撥弦楽器でしょう。
 鳥の歌と人の歌とが、このひととき、同じになります。
 2003年7月7日
 
 ★ ★ ★
 
 グリーグがこの抒情小曲集第7集の原稿を出版社ペータースに送付する際にペータース社の会長アブラハム氏に宛てた手紙で、この曲を、服をはしょって踊るフランス嬢に喩えています。「芸術」の中では彼女はちょっとお行儀が悪いかもしれませんが…みたいなニュアンスで書いています。
 アブラハム氏の返事:「彼女と知り合いになれてとても嬉しい」とのこと。
 
 イリーナ・メジェーエワのCDブックレット解説にも、この曲の「レース模様の裾をひるがえすような仕草」が粋だと書いてあります。フレーズの終わりに、とあるので、第6・第8小節などに出てくる音型のことを指しているようですね。
 2010年2月27日
 

45. Baekken / Bachlein / Brooklet op.62-4
 小川

 
 しかしどう思いめぐらしてもこれは小川ではないです。描写音楽のふりをした無題の音楽なのでは。それともノルウェーの山の小川はこうなのでしょうか?東山魁夷さんの本に、ノルウェーの川は短く、すぐに滝となってフィヨルドに注ぎ込むと書かれてあった覚えはありますが、そのイメージとも違いますし。
 何の根拠もありませんが、敢然と言い放ちます。タイトル、あと付けでしょう。この曲の美しさは川とか山とかの物とは別のところにあります。音の流れの美しさです。でもそれは、この世界の上の何物とも、直接の関係はたぶんないでしょう。
 (もっとも、それを関係づけるのが芸術・・であったりする)
 2003年7月7日
 
 ★ ★ ★
 
 …タイトルがあと付けという説はまだ撤回しませんが、あれから少しずつ、この曲のパッセージを「小川」のように弾くことができるようになってきました。
 この先いつかこの曲をほんとうに小川のように奏でることができるのか、ちょっとわかりませんが…。
 
 2010年2月27日
 

46. Droemmesyn / Traumgesicht / Phantom op.62-5
 幻影(夢景色)

 
 パルムグレンの「粉雪」をはじめて聞いた時、イ長調と思って聴いていたら、最後が嬰ヘ短調で、印象が一変した。この「幻影」も、私は基本的にイ長調の曲だと思うが、嬰ヘ短調で始まると言うならそうなのかもしれない。教本的な和声進行はここでは忘れられている。今では珍しくもないことだが、当時はこの曲はとても不思議な曲だったろう。
 部分的にベートーヴェンの「月光ソナタ」のような印象もあるが、夜のようには感じない。夜空に煌々と月が照って、という感じではない。そういえば時刻は感じない。朝でも夕方でもない。もちろん昼間でもない。
 いつ、というのもなく、どこ、何、というのもない。ただ音がたちのぼる。
 2003年7月8日
 

47. Hjemad / Heimwarts / Home-ward op.62-6
 家路

 
 タイトルからドヴォルジャークの交響曲第9番第2楽章を連想したら、はずれです。しかし第3楽章はちょっとだけ似ている気もします。
 
 馬。
 
 中間部の唄は、心あたりがあるのに思い出せない、昔聞いた唄、かもしれません。
 唄ったのはテレビの向こうの歌手ではなく、たぶん誰か身近にいた人だったはずです。
 
 その人を思い出して、そこに帰っていきます。
 2003年7月8日
 
 ★ ★ ★
 
 …ひとつ解釈を書いてみますね。前半第49小節からと後半第146小節からのストレットは、家に近づくにつれてだんだん急ぎ足、駆け足になる様子。ほんとうにこの様子が見えるように演奏しているピアニストもいます。この部分、諸家の演奏を聴いていると右手と左手の交互オクターブ連打で弾いているケースがけっこうあるようなのですが(そのほうが簡単になります)、音が重くなりがちです。このだんだんと駆け足になっていく雰囲気を自然に出すには、楽譜どおり右手左手とも単音で弾いていくほうがよさそうです。
 そうすると最後の2つの小節は、家に着いて、ドアをバタン!!でしょうか。
 
 1895年作曲とのことなので、グリーグ52歳ごろの作品。この齢にして、この無邪気。グリーグの真骨頂ここにあり、です。
 
 2010年2月27日
 


 

抒情小曲集に寄す 目次へ
 
グリーグコーナー トップページへ
 
遠い遠い夢の世界... トップページへ

さんちろく