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抒情小曲集に寄す 第8集


 

48. Fra Ungdomsdagene / Aus jungen Tagen / From early years op.65-1
 青春の日々から

 
 歳をとらないとわからない音楽があるらしい。
 若いピアニストの抒情小曲集の全曲録音をレコード雑誌で評していて、「青春の日々から」などグリーグ晩年の作品では曲の境地に演奏が至っていない、といったことが書かれてあった。
 
 マリアンネ・ヒルスティのグリーグ歌曲CDを聴いていて、『山の娘』の未出版曲「牛呼び唄」の節回しに、ふと、これは「青春の日々から」の冒頭だ、と思ったことがあった。あれは唄だったのだ、とわかった。そうわかると、いちばん最初の前打音付きのA音は過剰なテヌートはしない。ショパン風な歌い方ではない。・・
 ・・そんなわかり方はこれまでにも部分的にいろいろあった。それらを積み重ねて、さらに自分なりの想いを乗せれば、ただ「楽譜どおりに」弾くのとはちがう演奏はできる。
 しかし、それでは届かない。
 
 昔いちど読んで放り出していた哲学書をあらためて読んで、こんなことが書かれていたのか、と驚くことがあった。その本を省みなかった間、自分は自分でいろいろなことを考えてきたのだった。その本に書いてあるようには自分は思わないけれど、その本が何を問題にしていて、どう考え進めたのか・・それは、自分のこれまでの考えの道のりと照らし合わせて、わかる。
 別の塔を建てているのだ。私は私で、塔を建てつつある。他の人の建てた塔を私は登れないし、同じ塔は造れない。ひとり建つ塔なれば、おごりもあれば寂しさもある。しかし、見えるあの塔の高さは、高さとしてわかる。それを建てた人の苦しみは、苦しみとしてわかる。同じではないけれど、それであるとわかる。
 
 グリーグの簡単な評伝では、よく、グリーグは幸せな人生を送った、みたいなことが書いてある。少し詳しい伝記を読むと、そう言い飛ばすのが難しくなる。
 グリーグ夫妻、エドヴァルドとニーナの間には子どもはいませんでしたが二人は生涯仲むつまじく・・と書いてあることがけっこうある。もし「幸せ」とまとめられた評伝の中にこれが書いてあるなら、少し寂しいかもしれないが仲よく穏やかに暮らす老夫婦の「幸せ」な姿が読者には浮かぶだろう。しかし、子どもはいたのだが、亡くなったのだ。それを知ったなら、どうだろう。
 グリーグを「幸せな人」と思った上で「青春の日々から」にアプローチするなら、老齢のグリーグが昔日を幸せのうちに懐しむ、そんな曲に思われるかもしれない。それもまちがいではないだろう。
 グリーグが若き日に、友人のノールロークが病に伏した。ノールロークはグリーグに会いに来てくれと懇願の手紙を送ったが、グリーグは彼のもとへと赴こうとはせず、ノールロークは亡くなった。グリーグはこの後ノールロークの墓に参り、そしてグリーグ自身が亡くなる少し前にまた、病をおしてノールロークの墓に参っている。
 ノールロークはノルウェーの民俗音楽を芸術音楽に取り入れて、ノルウェーの伝統を誇りあるものにしようとした(今日からみて、その考えがどう評価されるかはともかく)。グリーグは彼の遺志を受け継ぐことを誓ったといわれている。
 「青春の日々から」の随所に、とりようによってはそのすべてに、ノルウェーの民俗音楽に由来すると思われる動機が現われる。グリーグはこの曲をどう作ったのだろう。青春の日々に、何を想っていただろう。
 
 ・・それでわかったつもりになるな、と、どこかから声がする。
 (書いてあること、残されたものは、書かれなかったこと、残されなかったものを、指し示せないけれど指し示している。)
 
 あの塔を建てた人の思いを誰かがわかるとしたら、そのわかる人も、それだけの思いを積み重ねてきたのだろう。それはもう、喜びなのか悲しみなのか、誰にも何も言えないだろう。ただそれをそれとわかる人の心のうちにだけ、言葉にならない答えがあるのだろう。
 2003年7月9日
 

49. Bondens Sang / Lied des Bauerns / Peasant's song op.65-2
 農夫の歌

 
 新潟の山深い村を訪ねて行ったことがあります。戦時中に母が疎開をした村で、当時のことを知る人がいるかどうか・・と思っていましたが、いろんな方の協力をいただいて、疎開先のお宅がみつかり、当時小学生くらいだった娘さん息子さんにお会いすることができました。
 お二方とも今も田畑を耕してらっしゃっていて、しかし仕事でというよりは、ただ毎日そうしているからそうしているという様子で、うちでとれた米だとおっしゃってごはんを出してくれました。そのお米は、味がありました。とてもおいしかったです。そこの田の土と水の味にちがいありません。
 雪が深いのだそうです。何メートルも積もって大変だと、こぼしてらっしゃいました。町に住む子どもさんから呼ばれるそうですが、先祖からの土地だから、ここを離れて住もうとは思わない、と、おっしゃっていました。
 
 私は、抒情小曲集の中で「農夫の歌」がいちばん好きです。長いことタイトルを知らずに、くり返しくり返し、聴いていました。自分で弾くようになってからは、時には楽し気に、時には静かに、弾いてきました。どんなテンポでも、どんな気持ちを乗せてでも、音楽になる曲でした。たぶん、もともとそういう唄なのだと思います。田畑を耕す人が、いつでもどこででも、どんなときでも、口ずさむ唄なのだと思います。
 この曲は、だから、私のための曲ではありません。この曲を聴き、弾くのにもっとふさわしい人がいます。でも、その人のところに、この曲は届けられているのでしょうか・・。
 2003年7月9日
 

50. Tungsind / Schwermut / Melancholy op.65-3
 メランコリー(重い心)

 
 重さはともかく、ここには鮮烈な光を見る。
 
 うつが音楽になるほどに美しく想われていた時代が、呼び戻される。
 2003年7月10日
 

51. Salon op.65-4
 サロン

 
 グリーグは社交好きであったいっぽう、スノビズムをひどく嫌っていたそうです。サロンという場にはたぶんいろいろなものを見ていただろうと思われます。
 サロンの雰囲気を表している曲というよりは、グリーグがサロンで人々に囲まれてピアノを弾いている、その様子が表れている曲のように思います。
 2003年7月10日
 

52. I Balladetone / Im Balladenton / Ballad op.65-5
 バラード風に

 
 ノルウェーの伝承バラッドを聴いていると、同じ節回しがくり返されているうち、突然節回しが変わり、今度はそれがくり返されて長く続き、やがてまた節回しが変わり、・・というふうに、ときどき相が変わりながら唄語りが続いていく。「バラード風に」は伝承バラッドのように長くはないが、その形式のエッセンスを残している。
 
 白い空の下。樹々。唄はこの世界のものではもはやなくなってしまった唄。
 2003年7月11日
 

53. Bryllupsdag paa Troldhaugen / Hochzeitstag auf Troldhaugen / Wedding-day op.65-6
 トロルハウゲンの婚礼の日

 
 軍楽隊の奏楽が祝っている。
 
 グリーグは晩年に自分のピアノ曲の演奏をいくつか録音している。「トロルハウゲン・・」も録音しているが、三部形式のABAのどういうわけか最後のA部だけが演奏されており、中間部(Poco tranquillo)は録音されていない。この中間部はピアニストによって弾き方が様々で、テンポをおとしてたっぷり歌う演奏、テンポをA部とあまり変えず小ぎみよく弾く演奏、いろいろな解釈がある。グリーグ自身がどう弾いていたか知りたいが、その術はない。
 グリーグが遺した自作自演録音は、すべてテンポが速い曲だ。グリーグは譜に記されたテンポより速く弾く傾向があったと言われており、録音を聴くとたしかにそうだが、しかしスローテンポの曲をどう弾いたのかはわからない。スローテンポの曲も速めに弾いたのか、それとも、速い曲はより速く、遅い曲はより遅く弾いたのか。
 (晩年のグリーグは、作曲に支障が出るほどに演奏ツアーを行っていた。伝記で読むと、なにか焦っているような、ほとんど強迫的と言ってもいい様子がうかがえる。グリーグはゆっくりした曲を、弾くことができなかったのかもしれない、とも思う。)
 
 グリーグの妻、ニーナが歌った「ソルヴァイイの歌(ソルヴェーグの歌)」の録音も残っている。これはAndanteのゆっくりした歌だが、ニーナはとてもゆっくりと、しっとりと歌っている。無伴奏のせいかもしれない。が、グリーグの指示したスローテンポはほんとうにスローだったのかもしれない。
 
 グリーグの「トロルハウゲン・・」の演奏は完結していない。欠けた音にはたどりつけない。それは後世の演奏家に任されたのか、それとも、ただひとつの正しい姿が今も演奏者を呼び続けているのか。
 
 (欠けているゆえの幸せもある) 
 2003年7月11日
 


 

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