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予告していた内容追加が遅れています。すみません。
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先日、祖母が亡くなりました。
祖母の家には誰も弾かないアップライトピアノがあり、以前、里帰りの折に(すぐ近くなのですが)私が頼まれてピアノを弾いたことが何度かありました。自分で作った曲や、グリーグの「春に」を弾いたのを憶えています。
たしかそのグリーグを弾いた時、あんたのピアノを聴いてる時がいちばん幸せだ、というようなことを祖母が言ったのを、祖母が亡くなった後、思い出しました。あの当時は私はピアノを人前で弾くことがほとんどなく、その時も自分ではうまく弾けなかったと思うばかりだったので、祖母がそう言ったのを気に留めていませんでした。
最近は祖母は体も弱くなり、さびしそうだと聞かされていました。いま思うと、私が弾くピアノをあれほど喜んでくれる人はいなかったです。それなのに私は何をしていたのだろう、どこでピアノを弾いていたのだろう、と、思われてなりません。ピアノが弾けるなら、そして弾くなら、それを喜んでくれる人のために、その人に聴いてもらうために弾くのでありたかった。祖母に聴いてもらうために。
そんなことをいま思っているところです。
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映画「歌え!フィッシャーマン」は見られませんでした。
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駐日ノルウェー大使館ホームページなどで告知されていた、北欧合唱団のコンサートが、今日は長野県の諏訪で、明日は東京で開かれます。
グリーグの「4つの詩篇」op.74が演奏されるそうなので、ぜひ聴きたくて、行こうとしていたのですが、東京はチケットが取れず、長野は今度のことや別の事情が重なって、行くことができなくなりました。
グリーグはピアノ協奏曲やペールギュントは演奏会で聴く機会も多いですが、そういう一部の有名曲以外は「知る人ぞ知る」です。生演奏で聴きたいけれどきっとその機会は一生ないだろうなと思う作品も数々あります。
「4つの詩篇」は、関東では演奏される機会もいくらかあるのかもしれませんが(それでも決して多くはないはずですが)、私にとっては「生では聴けないかもしれない」作品のひとつです。昔NHKFMで流れたのを録音して、そのテープをくり返し聴いています。とても美しい作品です。
1999年10月にメゾソプラノ歌手の井坂惠さんがグリーグの連作歌曲「山の娘」の全曲版日本初演をリサイタルでなさったのですが、その時も行こうとしていたのが新幹線のトンネル内壁崩落のため行けなくなりました。
収入の少ない私にとっては東京まで演奏会を聴きに行くのは大変です。それでも、この機会を逸するとほんとうに一生聴けないかもしれない、という作品の演奏は、なんとか都合をつけて聴きに行きたいと思ってきました。
いつのことだったか、演奏会場ですばらしい演奏を聴きながら、この演奏を聴くことができなかった人たちがいる、という思いがよぎったことがありました。いま私も−ちょうど長野で演奏会が途中のはずですが−聴くことができなかったひとり、なのですが、残念な思いと同時に、たとえ私が聴くことがなくともあの「4つの詩篇」がいま美しく響いているならそれでいい、という気持ちがしています。
「4つの詩篇」はグリーグが亡くなる直前に完成した作品で、グリーグ自身もこの作品が演奏されるのを聴くことはなかったそうです。
いまここでこの音楽を聴くことのなかった誰かのためにも、この音楽が響くことがあるなら。いつかまた、そんなことを音楽のそばで思うだろうなという気がしています。
2002年12月7日