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 突然、瀧廉太郎の「憾」が弾きたくなった。
 このところ仕事と環境の都合で週に1日しかピアノが弾けない。最近は事情あって、弾きたい気持ちも粉々にくだけていた。8月のイベントに申し込んでいるので何か練習していなければならない。でも何も弾ける気がしない。指が動いても今の私は音を「音楽」にできない。
 「憾」は弾ける。そう思った。技術的にではなく。技術的にはむしろ弾けるわけがない。最後のオクターヴの連打を外さず弾けたためしがない。それにこのところ激しい曲を弾いていないので、指を痛めるかもしれない。でも、むしろ今だからこそ、「憾」を弾きたい。今弾くのでなければこの曲をもう弾く時がない。自分の抱いている憾みが鎮まって穏やかになる、その前に、弾かなければ。そんな気がした。
 弾いてみた。音を外し続けた。何度か弾いて、気がつくと右手小指から血が出ていた。鍵盤に跡が付いていた。少なくとも今の手−腕では弾けないとわかった。それが、この曲の前から引き返せということなのか、血が出なくなるまで弾き続けろということなのか、それはわからなかった。
 さっきCDを聴いた。ブックレットを見ていたら、瀧が1903年に亡くなったと書いてあった。それも、6月29日だという。没後100年だったのだ。ちょうど。
 
 5年前に大分県竹田市の瀧の元の実家に行った。記念館になっていた。見たかった「憾」の自筆譜のコピーが保管されていた。ゲストブックに、「憾」が好きで今度ステージで弾くことにしたので来た、と、誰かが書き残していた。瀧がよく籠ったという納屋の屋根裏部屋に座って、差してくる空の光を見た。桜が散り始めていた。
 
 6月29日−この前の日曜、私は筑後川の河辺に来ていた。ちょうど50年前、この川が氾濫し、洪水が一帯をおそった。多くの人と家畜と家が流されたという。私の祖父はこの洪水で痛手を受け、この地を離れた。その洪水の50年後に、筑後川をこの目で見て受けとめたかった。
 筑後川は50年前の光景を私にはまったく見せず、大きく、ひと気なく流れていた。
 
2003年7月3日


 

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