ピアノリレーマラソンから1週間経ちました。感想などをそろそろ書こうと思いますが、その前に、大分の竹田でたまたま聴いたコンサートの話を書きます。
竹田へは下に書いたように瀧廉太郎の「憾」の自筆譜検討をしに行ったのですが、事の成り行きで(記念館展示資料の持ち主の先生が賛助出演なさるとのことで)、障害者の方々が出演されるあるコンサートを聴くことになりました。
そのコンサートのことは事前にはまったく知らず、記念館の方に言われて、ともかく近くのお菓子屋さんへ行きました。そこの2階は小さな会場で、よく演奏会などが開かれるそうで、そこでそのコンサートがあるようでした。事情がよくわからないまま2階に上がると(無料でした)、ほぼ満員でした。
出演の方々は8名で、みな若い方でした。作業所や福祉施設への通所のかたわら音楽の練習をされているようで、プログラムはピアノソロのほか、津軽三味線、ドラムの演奏でした。
その演奏がよかったです。ふつう言う「うまい」演奏では必ずしもないのですが(いや、うまい演奏もありました)、心を打たれる演奏が続きました。なにより音が美しかったです。あらためて思うことが多々ありました。
あるピアノソロの方は、ある箇所を弾きまちがえ、何度も何度も弾き直されました。ピアノを習うとたいてい、まちがったら弾き直さず先に進め、と教わります。音楽の流れを止めないように。「うまく」なると、まちがえてもあたかもまちがえていないかのように、取りつくろいもします。それは、音楽を少しでも完璧に近い形で聴衆に呈示し味わってもらう上でむしろ必要なことかもしれません。が、その奏者の方が何度も弾き直している時、聴いている私には、どうしてもあの音を出したい、という気持ちがとても強く伝わってきました。あの音がこう鳴るのがこの曲だ、それが音楽だ、それをなんとか実現したい、という熱意。最後にようやく弾かれた正しい音は、とても美しい音でした。奏者の方はこの音を愛してらっしゃったのにちがいないと思いました。・・そう思った時、私の心には奏者の方が弾き直し続けている間からずっと、奏者の方が鳴らしたかった音、愛してめざしている音楽の姿がたしかに宿っていたと気づきました。完璧に鳴らされた完成形の音楽でなく、鳴らされたい憧れの音楽が。
1週間後には私自身がピアノリレーマラソンに出て、ピアノを弾きます。私も「うまく」弾けません。完成形の音楽を呈示することはきっとできないでしょう。だからといって気遅れすることもない。まして、やめることもない。鳴らされたい音楽をめざして弾く。私だって、同じように。・・その気持ちが、コンサートを聴いて固まりました。
たしか「きらきらコンサート」というコンサートで、竹田市の但馬屋2階「ムジーカ・ガレリア・アラヤ・サーラ」という会場でした。詳しいことは残念ながらあまり知りません。初めての企画だったようです。これからも続けてほしいと思っています。可能であれば、また聴きたいです。
その1週間後の話は、後日書きます。
2003年8月30日