* このページは、日記帳形式で内容が上に上に追加されています。
* 簡易目次を、このページのいちばん下に設けています。
* グリーグコーナーのトップページに書きましたように、 |
グリーグの「19のノルウェー民謡」に絡んだ話をときどき書いてきましたが、
今回で、たぶんひとくぎりになります。
20年前、初めて「19のノルウェー民謡」をAM放送で聴いたとき、
聴きながら窓から見た空は青く晴れていました。
この記憶が正しいのかどうか、ほんとうにあのときわたしは空を見ていてその空は晴れていたのか、
実はあまり自信がありませんが、記憶ではそうなのです。
その後、このとき録音したエアチェックテープを聴くと、わたしはしばしば、そのときの窓の外の青い空を思い出しました。
とくに、第14番の「オーラの谷で、オーラの湖で」、17番の子守唄、そして今回取り上げるこの第18番の曲を聴いているとき、そうでした。
空のあざやかな青、その青みの深いあまり、翳るほどの青。
そうした青を湛えた窓の向こうの空が、聴くたびに浮かんできました。
幼い頃のわたしに空の青を教えてくれた人は何人かいて、
わたしはそのときまでに空をときどき仰いで見るようになっていましたが、
空の青の翳りを知ったのは、たぶん初めてあの曲を聴いたその頃だったと思います。
その頃でもまだ幼かったのに、過ぎ去った日々ばかりが懐かしくて、
それがどうしても二度とは戻ってこないということを初めて痛んで知った頃でもありました。
この曲を聴いたとき、その気持ちが、この曲の音の移ろいの上に、あざやかに浮かび現れてきました。
自分が抱いて放せない気持ちがもうすでにそこに音楽になって流れていた、そんなようでした。
自分のそれまでの人生をその音の移ろいに籠めるようにして、聴いていました。
「19のノルウェー民謡」のそれぞれの曲の題名は放送で紹介されなかったので、長いこと知らずに聴いていました。
少し経って、めったに行かないレコード店で、イザベル・モウランが弾くグリーグのピアノ作品集LPを見つけて、それを買ったのですが、
その付録にたしか大束省三さんが作成された(…のでなかったらたいへん失礼しました)グリーグのピアノ作品のリストがあって、
それで「19のノルウェー民謡」のすべての曲のタイトルを知りました。
意外なもの、意味がわからないものなどいろいろありましたが、
この第18番のタイトルを見たとき、熱い気持ちがしたように憶えています。
そこには、たしか「私は千々の思いに彷徨い歩く(*1)」とありました。
この曲は、グリーグが手がけた作品のうちでは、ロマンティックな類に入ると思います。
グリーグは自作の歌曲をいくつかピアノ独奏曲に編曲していて、それらのほとんどは原曲の旋律を伴奏や和声を変えて数度繰り返す構成をとっています。
このときしばしば、旋律を繰り返すごとに伴奏の音が厚くなっていきます。
「19のノルウェー民謡」の第14番や第18番も、元の旋律が繰り返されながら伴奏が変化していくという歌曲編曲的な構成をとっていて、
この曲集に含まれるそれ以外の曲の扱いとは顕著に異なっています。
とくにこの18番は、和音がしだいに厚く濃くなっていきます。
グリーグはそうした作り方の作品を多く残しているので、ある意味ではグリーグ的と言えるでしょうし、
いっぽう後年の作品でみられるような実直な端正さがグリーグの到達点なのだと考えるなら、厚めの和音がある意味ロマンティックに繰り広げられる第18番は、
それとはちがう線の上にあるとも言えるだろうと思います。
わたしは初めのうちは第14番や第18番がとても好きだったのですが、
歳をとるにつれ、民謡を素朴に(ただし微妙な情緒でもって)扱った他の曲が好きになってきました。
グリーグ編曲でない、民謡の唄い手の方々が唄うノルウェー民謡を聴くようになったのも関係あると思います。
一時期、第18番は自分は好きだけれどグリーグの代表作とは言えないだろうなあ…と考えたこともありました。
それが、このごろまた、第18番に気持ちが行くようになってきました。
なぜなのか、よくわかりません。
ただひょっとしたら、過ぎ去った夢や叶わなかった夢を、もう叶うことのないままにふたたび夢見るのだっていい、ということが
少しわかるようになってきたためかも、と思ったりしています。
他の記事で書いたように、
「19のノルウェー民謡」は、グリーグの友人のフランツ・バイエルがノルウェー西部各地で書き取った民謡を、グリーグが編曲して作品化したものだそうです。
この第18番の曲 Jeg gaar i tusind tanker は、adagio religioso(ゆっくりと、宗教的に)という指示がされていますが、
実はもともとはデンマークの歌で、それもラブソングだということです(*2)。
福岡のCDショップのワゴンセールでたまたまデンマークの合唱団のCDがあって(*3)、
その曲目にこの曲と同じタイトルの歌が入っていて、買って聴いてみたら、
「私はあなたを愛してしまった、あなたを思って思って死にそうだ」みたいな歌詞でした。
jeg gaar i tusen tanker は直訳風に訳すと「私は千の思いの中を行く」となりますが、これは慣用表現で、実際は「私は思い乱れる」という意味になるようです。
ついでに言うと、jeg はノルウェー語で「私は」の意味ですが(デンマーク語でもたしかそうです)、ノルウェー西部の言葉では「私は」はjeg よりはegを使うはずで、
民謡でjeg が出てくるのを聴いたことがほとんどありません。
つまりデンマークで生まれた歌が、当時のことなのでおそらく口づてに伝えられて、はるばるノルウェーの山村まで伝わってきた、
そのなごりが歌詞に(タイトルに)残っているのだと考えられます。
旅先のCD店(日本国内です)で見つけたノルウェーのジャズのCDで、民謡をアレンジしたものがあり(*4)、
やはりこのタイトルの曲が入っていたので、それも買って聴いてみました。
歌詞は先のデンマークのCDと少し違っていましたが大意は変わっておらず、ほぼ意味を残したままノルウェー山間部まで伝えられたようです。
ただ、メロディーはかなり違っていて、いかにもノルウェー民謡らしくなっていました。
ところが、グリーグはこの唄に「宗教的に」という指示語をつけて、宗教曲的な多声部的手法も用いて編曲しています。
バイエルが書き留めた民謡の譜面には歌詞が添えてあったようなので(*5)、グリーグはこの唄の歌詞をたぶん知っていたはずですし、
もしそうでなくてもグリーグはデンマークに長く滞在した時期もありますし、グリーグの妻のニーナさんはコペンハーゲンの出身とのことで、
グリーグ自身この民謡のオリジナルであるラブソングをたぶん知っていたのではないかと思われます。
だとすると、おおもとがラブソングな唄を宗教曲風にアレンジするというのはどこから来た着想なんだろう…、とも思います。
何かの事情で歌詞やオリジナルの姿を知らずに編曲したのかもしれないですが。
別のノルウェー民謡でmitt hjerte alltid vanker (私の心はいつもさすらい歩く)という、タイトルが似た唄があり、
そちらは信仰の唄なので、またよく知られた唄なので、
その唄との類似関係をグリーグが感じ取って、あるいはその唄になぞらえて、編曲したのかもしれない、と思ったりもします。
ただ、どうであれ、グリーグは、やっぱりこの唄の題を直訳風に受け取ったのでは、という気がします。
私は幾千もの思いの中を歩いて行く、と。
その言葉には、わたしがレコード付録のグリーグピアノ曲リストを見たときに感じた、
人の人生の歩み、そしてそれを包む大きななにか、
そういったものを感じさせるニュアンスが読み取れる気がします。
でも、
歩いて行くのは人ばかりではないかもしれない…。
デンマークで生まれた、あなたが恋しいと歌うせつないラブソングが、
人づてに、口づてに伝えられて、たくさんの人々の思いの中を通って、
はるばるノルウェーの山の村まで伝わってきた。
歌詞を変え、メロディーを変え、その姿を変えながらも、そのこころだけは保ち続けて。
この唄こそ、さすらい歩いてきたのでは。jeg gaar i tusind tanker、それはこの唄そのもののことなのでは。
そのことを想像するとき、わたしには、なにかそれをとても尊く感じる気持ちがあります。
宗教的、なのかどうかはわたしにはなんとも言えないです。
が、この唄が伝えられ、はるかな道を歩いてきた、そのことには、
おおげさかもしれませんがたとえば故国を離れてはるか異国の地を布教して歩く宣教者の姿、
あるいはそうして人から人へと土地を越えて伝えられていく信仰そのものと、
どこか同じように感じられるものがあるように、わたしには思えます。
グリーグが、ノルウェーの村で再発見されたこのデンマーク発祥の唄に、そのような感じを抱いた、と断言するのはとてもむりです。
が、はるかな旅をしてきたこの唄を、グリーグが敬虔に迎えたということだけはたしかなのでは、と思います。
その唄は、グリーグの思いを経て、とうとう、はるばるこんなところまで届けられてきた。
それはほんとに、奇跡なのかも、と思います。
脚注
(*1) 「私は千々の思いを彷徨い歩く」だったかもしれません。リストの現物が残念ながらいまありません。
(*2) CD: BIS(Sweden) BIS-CD-111 Edvard Grieg: The complete piano music. Booklet by Dag Schjelderup-Ebbe.
(*3) CD: Danica(Denmark) DCD8159 Der staar en lind.
(*4) CD: ODIN(Norway) NJ4047-2 Toner fra Romsdal.
(*5) Edvard Grieg : the man and the artist / by Finn Benestad and Dag Schjelderup-Ebbe
(translated by William H. Halverson and Leland B. Sateren); Lincoln : University of Nebraska Press, 1988.
のP.335に、「19のノルウェー民謡」の他の曲の原曲民謡の採譜楽譜が載っており、そこには歌詞が書かれています。
2002年06月14日 21時58分10秒
・・これまでもとてもゆっくりだったのですが、
たいへんすみませんが、よりいっそうゆっくりすることにしました。
いつも来てくださる皆様には申しわけありません。
まったくやめてしまったりはしませんが、
これからのことは少し考えさせてください。
さきほど、下に長々と書きましたが、
正直なところ、ちゃんと書けた気がしません。
伝わらないところなどありましたら、どうかごかんべんください。
しばらく考えて、またゆっくりと何かやっていくことにします。
その前に、時間を作って、いろんな方々のサイトにおじゃまして、
あらためて勉強したいです。
2002年05月13日
もともとこのサイトを開設した目的は、
ジオシティーズが提供するフリーメールアドレスの取得、
というのが実はもっとも大きかったのですが、
どうせ何かするなら、グリーグが大好きだから、グリーグにまつわることを載せたい、と思って、
あわせて、ふつうクラシック音楽のサイトでは作品や演奏の批評が多いので、
そうではないようなものをちょっと試してみたい、と思い、
これまで書いてきました。
が、
実はジオシティーズのフリーメールが先頃廃止されて、
その点に限って言えば、このサイトを無理して展開していく意味合いが、わたしにとっては薄くなりました。
で、記事もいくらか書いてきて、
グリーグ作品をめぐってだけで一つのウェブサイトをやっていけるというのはたぶん示せたし、
そろそろ、追加更新を気にするのをやめようと思うようになりました。
これまででもずいぶんとゆっくりの追加ではありましたが。。
それで、しばらくこの「グリーグ作品随感随想」では、新規記事の追加をしません。
当初、このサイトに繰り返しお越しになる方がいらっしゃるようになるとはまったく予想しておりませんで、
正直なところ、カウンタがコンスタントに上がるのが申し訳なく思えることもたびたびでした。
ネットは、何かをエントリーする場だと思うので、これまで書いた記事を消すことはしませんし、
サイト自体はなんらかの形で維持していきます。
ただ、この随感随想に関しては、その役目は終えてもいいと思うようになりましたので、
そのことはきちんとお知らせしなければ、と思い、
そのむねお知らせすることにしました。
記事の追加をやめてしまうつもりではありませんが、次回の掲載時期のお約束は、しないことにします。
そのうち日本でもグリーグ専門のしっかりしたサイトができるだろう、と思っていたのに、
そういうものがまだ現れてこないのは、残念です。
残念がる前に、そう思った者がなんとかすべき、なのかもしれませんが。。。
ここまでおつきあいくださった方々はきっとお感じになられるように、わたしにそこまでの力はありません。
グリーグサイトでなくても、あちこちの個人サイトで、グリーグの話がもっと出るようになったらいいなあ...と思っています。
6月15日のグリーグさんのお誕生日には、なにかちょっとしたことをしてみたいです。
また、グリーグ関連の基本的情報(年譜や作品リスト)とか関係リンクは、ある程度整理していつか掲載したいと思っています。
ただ、たびたびおいでくださってそのたびに何か新しいことがある、という状態は、これからはないと思います。
ありがとうございました。
この後、何か変化をしましたら、トップページでお知らせいたします。
2002年05月13日
*
近くの公共ホールで、ふだんあまりステージに上がる機会がないピアノ好きの方々がステージでピアノを弾ける企画が毎年夏にあり、
昨年出ました。
今年も弾きたいと思っているのですが、
曲をどうするか決められないでいます。。
*
グリーグの音楽って、やっぱり北欧音楽なんでしょうか・・。
もし北欧音楽というルートの上でグリーグに出会って作品を聴いていくと、
たとえば『19のノルウェー民謡』とか『スロッテル』とかは、深い感動を与えてくれたりするのでしょうか。。
2002年05月12日
しばらく前、CD店で、
ノルウェーのピアニスト、ライフ・オーヴェ・アンスネス Leif Ove Andsnes が、
グリーグの抒情小曲集(抜粋)をグリーグ自身が弾いていたスタインウェイで録音した
輸入盤CDを見つけて、買いました。
何日か前、夜、机に向かいながらそのCDを聴いたのですが、
目の前の、本とか紙類とかが雑然としている世界ではない、
どこかぜんぜん別の所からそれが聞こえてくるような気がしました。
グリーグの曲は、ほんとに何度も何度も聴いてきましたが、
そして、とてもなじんでいる気持ちもするのですが、
そのいっぽうで、
それが、どこか、ここではないとても遠くから聞こえてくる、
そんなような気がすることがあります。
ところで、
とっくに心に染み込んでいる曲なのに、それを聴きたい..
...って、不思議ですね。
どこかから届いてくる。
届けられてくる。
2002年04月19日
...別のサイトの新規トピックで手間取っていて、こちらの記事作りが進んでいません。。。
いつ載せられるか自分でもなんとも言えません。
たびたびおいでくださる方には申しわけありませんが、こんなふうなページだと思っておいていただければ...と存じます。。。
2002年03月22日
記事追加のペースもすっかり落ち、御期待を裏切ることも多くなったことと思いますが、
これからもかなりゆっくりのペースながら、書いていきます。
世の中にあまたある音楽体験の、そのあり方の一つの例ということで、読んでいただければ...と思います。
楽曲紹介のコーナーもやっぱりほしいな、と思ったりしてますが、
作るのなら、このサイトの特色を反映したコーナーにしたいです。
次は、来月中旬ごろ。。。
2002年02月21日
昨年の年末、NHKのテレビでのど自慢の総集編かなにかの番組を放送しているのを見ていて、
のど自慢に出演した、北海道で酪農を営んでらっしゃる女性の方が、牛舎の前で仕亊着でインタビューに答えてらっしゃるのを見ました。
毎日、牛の世話をしながら演歌を歌っている、と話してらっしゃいました。
それをテレビで見ていて、ふと、グリーグの「牛呼び唄」を思い起こしました。
牛呼び唄 kulok はノルウェーの民謡によくある唄で、放牧で山野に散っている牛を「おーい、おいでー」と呼び寄せる唄です。
ノルウェーでも日本でも、いま「民謡」と名づけくくられている唄は、かなりの数、仕亊をしながら唄う唄、あるいは仕事の作業の一環で唄う唄、いわゆる仕亊唄です。
いま、ノルウェーではどうか知りませんが、少なくとも日本では、仕事しながら歌うのは歌謡曲、ということが多いように思います。歌う方々は、民謡のように、演歌を歌ってらっしゃるのでしょう。
歌はそんなふうに、暮らしながら歌われてきた。
牛舎で牛たちにえさをやりながら歌ってらっしゃるその方の様子をテレビで見ながら、
グリーグが作品化した牛呼び唄も、こういうふうに、状況が少しちがう
んですがそれでもなにか、こういうふうに、唄われてきた唄だ、ということを、ひしと感じました。
飼っている牛の姿、牛の顔を見ながら、唄った唄だ、と。
それをおいといて、少しばかりの間、その方の歌を聴きました。
「19のノルウェー民謡Op.66」は、ときどきここでも書きましたが、グリーグの友人やグリーグ自身がノルウェー山間部で地元の方の唄う唄を聴いて採譜し、それをもとにグリーグがピアノ曲に作品化したものです。
これの第1曲は牛呼び唄で、冒頭、低音部でニ長調の主和音(レ・ファ#・ラの音)が静かに鳴って、その上から、けっこう大きな音(mf)で、唄のメロディーが奏でられます。この部分が、「お一い、おいでー!」と牛を呼ぶ部分です。
わたしはこの曲を自分で弾く時は、このメロディーをあまり強くは弾いてきませんでした。全体がきれいな和音を作っていて、メロディーも響きの中に溶け込んだほうがよさそうな感じがしていました。
でも、そののど自慢のテレビを見た後、ここの部分は、遠くにいる牛に戻ってくるよう呼ぶんだよなあ、と思い直して、
タッチを違えて、遠くまで声が届くように、弾いてみました。
そうしたら、メロディーが、唄っているのが聞こえました。唄声に聞こえました。この曲で、自分で弾くのでは正直初めてでした。
mfで、そしてその後はp(弱く)になるので、想像するに、自分自身が唄っている声ではなく、牛飼いの人がどこかそう遠くない所で唄っている声、なのでしょう。
曲の最後、冒頭部の「おーいおいでー」が再び、こんどはpp(とても弱く)の指示で奏でられますが、これはきっと、ここからは見えないどこかで、別の牛飼いが唄っている声、あるいは、さっきの牛飼いが歩いていって遠くで唄っている声、なのでしょう。
ppでも、かぼそい音ではなく、きっと山野を飛び越えて、牛たちに届いていく、そういう声なのだと思います。
2002年02月12日
このグリーグひとりごとサイト、
しばらくのあいだ、更新がさらにゆっくりになります。
2月下旬に1周年を迎えますが、そのころにはたぶん何かします。では、また。
2001年12月27日
ほっかほっか亭の「ソースかつ丼」*1) のコマーシャルで流れている音楽、
グリーグの「音楽帳」(抒情小曲集第1集第7曲)です。
原曲はピアノです。
楽しいアレンジです。これ、CDで出ているんでしょうか。
*1): ネットで調べたところ、
これ、どうも九州・山口のみの商品のようです。
2001年12月18日
ノルウェー放送協会NRKにからんでの話です。
短波ラジオで海外短波放送をお聴きになったことのある方はご存じかもしれませんが、
短波放送は電波の伝わり方が独特で、
中波やFMでは聴けない、遠く離れた国の放送を聴くことができるいっぽう、
電波の強さが安定せず、聞こえたり聞こえなくなったりを繰り返します。
季節や時間や電波の周波数によって電波の伝わり具合は大きく変わります。
そのため(だと思いますが)、
昔、短波放送局はリスナーが電波の受信状態を報告してくれるのを歓迎していました。
で、リスナーが手紙で受信報告を放送局に送ると、
放送局は報告したリスナーへ、お礼に「受信証明書」を送るという慣習がありました。
受信証明書はたいてい、その国の風物や放送局の建物などの絵はがきになっていて、
そういう絵はがき形の証明書は「ベリカード (verification card[これは和製英語らしい], QSL card) 」と呼ばれます。
ベリカードは見て楽しいし、また電波が弱い遠隔地の放送を聴いてそれがもらえると嬉しいので、
各地の放送を聴いて受信報告を送ってベリカードを集めるのがはやった時期があります。
わたしもいろんな国の短波放送を聴いてました。
ノルウェー放送協会NRKの海外向け放送、ラジオノルウェー Radio Norway(現: Radio Norway International)も、
番組はほとんどノルウェー語なのに、意味わからないまましょっちゅう聴いてました。
ベリカード集めにはあまり関心がなかったほうなのですが、
あるとき、ラジオノルウェーのベリカードが欲しくなり、
受信報告書を送ってみることにしました。
グリーグの作品を少しずつ聴いていた頃です。
受信報告書は、
ある日のある回の放送を聴いて(他国向け短波放送は30分とか1時間とかの時間枠で放送されることが多いです)、
そのときの放送電波の強さや聞こえやすさと、
番組の内容を簡単に書いて(これは、リスナーが聴いたのが確かにその放送局の放送だったのかを局側が確認するのに必要)、
番組の感想や希望などを添えて、
放送局に送ります。
で、その日、わたしがラジオノルウェーを聴いていると、
ヴァイオリンみたいな楽器の演奏が流れました。
その音楽を、わたしはアメリカのカントリー&ウエスタンだと思って、
ラジオノルウェーへの受信報告に、番組内容を"country & western" と書いて送ったのです。
(ちなみに、「カントリー」と「ウエスタン」とはまったく別物で、
日本で昔言っていた「カントリー&ウエスタン」という呼び方はうまくない、と
このごろ本で読みました。)
「ノルウェーの folk music をぜひ放送で流してください」と、希望も書きました。
ラジオノルウェーからベリカードが来るのを楽しみに待っていましたが、
何週間、何か月待っても、ベリカードは来ませんでした。
それからしばらく経って、
グリーグの「ペール・ギュント」を、
組曲でなく抜粋版で聴きました。
抜粋版で聴いたのが初めてだったかどうかは覚えていません。
その「前奏曲」の途中で、
ヴァイオリン独奏の、カントリー&ウエスタンみたいなのが聞こえてきました。
そのとき、あっ!と思いました。
ラジオノルウェーからどうして返事が来なかったのかも、たちまちわかりました。
あのとき放送で聴いた「カントリー&ウエスタン」は、ノルウェーの民俗音楽だったのです。
ノルウェーには、「ハリングフェーレ hardingfele 」と呼ばれる、ヴァイオリンに似た民俗楽器があります。また、単に fele と呼ばれる、ほとんどヴァイオリンな楽器もあります。
これらの楽器は、おもに踊りの伴奏を奏でるのに使われるそうです。
グリーグのピアノ曲集「抒情小曲集」のなかには、これらヴァイオリン系の楽器が奏でる舞曲を模した作品が多くあり、
わたしはそれらピアノ曲はそこそこ聴いていたのですが、
またそれらがもともとハリングフェーレで演奏される音楽なのだと知ってはいましたが、
その「オリジナル」の姿は、まったく知りませんでした。
ラジオノルウェーでわたしの手紙を読んだスタッフは、
いったい何を書いているのかわからなかったか、
われわれの伝統音楽をアメリカ音楽とまちがえるとは!とカンカンになって怒ったか、
だったのでしょう。
大恥をかきました。
いまでは、ノルウェーの伝承音楽のCDも福岡のCD屋さんの店頭に置かれるようになり、
わたしも、罪滅ぼしのつもりではないですが、ずいぶん聴きました。
はっきり言って、グリーグのピアノ曲からだけでは、
ハリングフェーレで奏でられる音楽の姿は、想像つきません。
民俗音楽を「芸術音楽」に取り込むときの「限界」、について、考えさせられたものです。
(いまのわたしは、「芸術音楽」とか「限界」とか、そういう捉え方をしませんが)
ラジオノルウェーへは、それからだいぶ経って、また手紙を書き、
ベリカードもいただきました。
以前書きましたように、英語放送が廃止されるまでは、たびたび手紙を送りいただきしてました。
グリーグの作品とノルウェーの伝承音楽との関係は、いろいろな論点があって、論じておもしろそうでもありますが、
わたしは、また次の機会に、自分の体験したことから考えて書いてみます。
2001年12月04日
来週には書き込みできると思います。
止まっていたのは、
個人的な体験をこれまで書いて載せてきて、書き残しているのがかなり個人的色彩の強い話ばかりになってきたのと、
楽曲解説みたいなことも書きたくなってきた(いっぽうで、あまり書きたくない気持ちもある...)のとで、です。
ただ、グリーグ作品をそこそこ集中して聴いてきて、
いろいろ発見することもあり、
そういったことごとを載せたら、グリーグ作品を演奏なさる方の作品解釈の上でなにかの参考になることも、ひょっとしたらあるのでは...と考えてもいます。
そんなふうで、少し考えています。
2001年11月15日
作曲家の松平頼則さんが亡くなったと、きのうの新聞で読みました。
松平頼則さんは少し前にNHKのドキュメンタリー番組で紹介されましたので、それで御存じの方もいらっしゃることと思います。
わたしはなにも個人的に存じ上げてはいないのですが、
むかし、わたしがまだ子どもの頃、松平さんが作曲されたピアノのための「美しい日本」という組曲の楽譜を、楽器店で立ち読みしたことがあります。
そこには、ピアノの楽譜なのに5線が3段組になっていたり、スラー(ひとまとまりで演奏される音群を表す囲い曲線)がまるでSの字みたいにうねっていたり、
とにかく見たことのない譜面がありました。
そのときの印象は強烈で、
いったいそれはどんな音楽なのだろう、と、
子どもながらに思ったのを覚えています。
3段組の5線は、ちなみにグリーグの抒情小曲集の「春に寄す」でも使われています。あとで知りました。
わたしはいわゆる現代音楽もけっこう好んで聴くのですが、
あのときの松平作品の楽譜の視覚的な印象が、わたしの現代音楽への関心につながっているのを感じます。
いま、その楽譜を持っていますが、まだ弾けずにいます。
音を拾い拾いして鳴らすばかりです。
2001年10月30日
http://www.nrk.no/
ノルウェー放送協会(NRK、エヌアルコー)のサイトです。
ノルウェー語だけのようですが、ノルウェーのニュースをはじめとした、いろいろな番組のあらましをネット上で知ることができます。
ノルウェー語に触れるのにはいいサイトだと思います。
Forsida(トップページ)の左の列にリンクがあるNRK Nettradioでは、ラジオ番組を聴けます。
Alltid Klassiskがクラシカル音楽の番組です。
NRKは以前は短波で英語放送をしていました。
Radio Norway International
毎週日曜に30分間だけでしたが、ニュースと特集番組が放送され、ときどきは音楽番組がありました。
ノルウェーの作曲家ハーラル・セーヴェルーをわたしが知ったのも、この英語放送で、セーヴェルー生誕100周年記念の番組を聴いてです。セーヴェルーについてはまたいつか書きます。
残念ながら、予算削減のため、英語放送は1998年9月27日放送分を最後に、打ち切られました。
以前はいろいろ手紙も出し、スタッフの方々から返事を頂いたりもしました。当時のスタッフの方々はどうなさってらっしゃるだろう...と、思い出すときがあります。
NRKがらみの話があるのですが、またそのうち。
グリーグ作品の話をこのごろあまり載せずにおります、すみません。でも、こういった事柄も、関係ないわけではないので。。。
2001年10月16日
このところ、火曜日に記事を載せていたのですが、
今日は、準備できなくて、載せられませんでした。
来週か、再来週になります。
十六夜月が、赤々と昇ってきました。
2001年10月02日
グリーグの作品のうちでもわたしがとくに好きなのが、作品66の「19のノルウェー民謡」です。
この曲集についてはいずれ書いて載せますが、
今日はその曲集の最後(19曲目)に置かれた、「イェンディーネの子守唄 Gjendines baadnlaat」をめぐって、少し書きました。
「19のノルウェー民謡」は、1890年代にグリーグの親友フランツ・バイエル Frantz Beyer がノルウェー西部の山岳地帯で書き取った民謡をもとに、グリーグが作ったピアノ曲集ですが、
このうち最後の1曲、「イェンディーネの子守唄」は、グリーグ自身が採譜をしたと言われています。
伝記などの資料によると(*1; *2; *3)、1891年の夏、グリーグはバイエルやオランダの作曲家ユリウス・レントヘン Julius Roentgen(*4) ら友人とともに、ヨトゥンヘイム地方を旅行しています。
そのとき泊まった山小屋で、そこの主人の子どもの守りをしていた19歳の娘さん、イェンディーネ・スローリエン Gjendine Slaalien の唄う子守唄に、一同魅了されたのだそうです。
その子守唄は、イェンディーネが自分のお母さん(お祖母さんと書いてある資料もある)から教わったもので、イェンディーネはグリーグ一行と出会ったとき、子どもを胸に抱いて子守唄を唄っていて、
レントヘンによると、その唄はリズミカルで、また自然な唄いで、とても美しかったそうです。
イェンディーネはその子守唄のほかにもいろいろ唄を知っていて、グリーグとバイエルはたびたびヨトゥンヘイムを訪れては、イェンディーネに唄を唄ってもらい、それを採譜したとのことです。
グリーグがこの唄にとてもひかれていたのは、以前から伝記で知っていたのですが、
何年か前、
その唄を唄っていたイェンディーネさんがその後1972年まで御存命で、
ベルゲン音楽祭でその子守唄をお唄いになった、という話を、どこかで読みました。
それで、ひょっとしてその時の録音が残ってないだろうか?残っているのなら、ぜひ聴いてみたい、と、思い始めました。
思っても、しかし調べるあてもなく、
ただ、前回の記事に書きましたNHKの「日本民謡大観」のように、ノルウェーでもNRK(Norsk Rikskringkasting: ノルウェー放送協会)が民謡を収集していた、というのを知っていたので、
そのころ海外向けに英語で短波放送をしていたNRKに、問い合わせてみるかな、どうしようかな...と思ったのですが、
NRKが英語放送をやめてしまって、
尋ねずじまいになっていました。
イェンディーネさん御自身が唄っているのではないですが、
「19のノルウェー民謡」のうち13曲を、
原曲の唄と、ピアノ曲とで収録したCD(*2) があり、
それで「イェンディーネの子守唄」がどんな唄かは聴くことができます。
ここで唄を唄っている Reidun Horvei さんは、クラシカル声楽のほか、ノルウェーの伝統的歌唱法 kveding の訓練もなさったソプラノ歌手で、
すばらしい唄声です。
このCDはレコード雑誌にも紹介されたことがあり、北欧音楽ファンの方にはお持ちの方もおられるのでは、と思います。
(Reidun Horvei さんのホームページ: http://hardanger.museum.no/horvei/eindex.html )
ただ、
別のCDで、「イェンディーネの子守唄」という同じタイトルながら、歌詞がかなりちがった唄が入っているものもあり、
イェンディーネさん御自身は、どんなふうに唄ってらっしゃったのだろう...と、
それを聴きたい気持ちはずっとありました。
それが、このサイトを始めてしばらくたって、
あるとき、イェンディーネの子守唄のことを取り上げたいな、と思って、下調べにとGjendineで検索をかけたら、
ノルウェーのレコード会社GrappaがNRKと共同で制作したノルウェー民俗音楽のCD集の中に、
イェンディーネさん御自身の唄が入っているとおぼしきCDがあるのを見つけました。
これは!と、近くのCD屋さんに注文を出して、
さきごろ、手に入りました(*5)。
1951年の録音ということなので、イェンディーネさんが79歳ころの唄、ということになります。
そして聴いたイェンディーネさんの唄声は、
まさに、おばあちゃんの子守唄、でした。
Reidun Horvei さんの、遥か山々にまで届くような歌声、ではなく、
村のおばあちゃんが孫を抱いて、つぶやくように唄う唄声。
声そのものは、わたしの聴くところではとてもきれいで、
昔、若かったころはあるいはまったくちがった唄い方だったのでは...と考える余地はあると思うのですが、
それでも、民謡歌手のみごとな唄、ではなく、世界のいろいろな地域で収録された現地録音CDの、そこにすむ御年寄りの方々が唄ってらっしゃる、村の唄。そういう感じのほうが近いです。
テンポもかなり速く、グリーグがピアノ曲版に付けた速度記号Allegretto がぴったりします。
わたしは、そういう、ある意味で民謡らしい民謡を、じかに聞いたのは、
祖母の背中で聞いた江戸子守唄だけです。
でも、その祖母の子守唄が、
ときどき、ふと、心によみがえってくることがあります。
祖母の声で。
イェンディーネさんの唄う子守唄は、わたしには、
わたしの祖母が唄った唄のように、聞こえます。
「イェンディーネの子守唄」の、原曲の歌詞と採譜譜面を載せてみました(出典:資料*1, p.336) 。
資料には1番の歌詞しか載っておらず、2番の歌詞が載った資料はいまのところ見つけていません。
なので、2番については、わたしがCDから聴き取ったものを、ためしに載せてみました。ノルウェー語はわたしにはあいかわらず難しいので、これが正しいと言う自信はありません。こんな感じでは、といった参考までです。
どなたかこの唄を御存じの方、御教示いただけるとありがたいです。
*1: Edvard Grieg : the man and the artist / by Finn Benestad and Dag Schjelderup-Ebbe
(translated by William H. Halverson and Leland B. Sateren); Lincoln : University of Nebraska Press, 1988
*2: (Music CD) Norwegian folk songs and peasant dances from op.66 and op.72. (Geir Botnen, piano; Knut Hamre, Hardanger fiddle; Reidun Horvei, song) SIMAX (Norway) PSC1102. Notes by Carl O Gram Gjesdal.
*3: http://www.etojm.com/Norsk/Turer/Jotunheimenogvaldres/Jotunheimenpersonligheter.htm#Gjendine
イェンディーネさんの略伝と写真があります(ノルウェー語)。
ドイツ語ではこちら: http://www.etojm.com/Tysk/Wandern/Jotunheimenogvaldres/Jotunheimen.shtml
*4: わたしはオランダ語がわからないので、原音表記ができません。
*5: (Music CD) Folkemusikk fraa Oppland. (Norsk Folkemusikk, 5). Grappa (Norway) GRCD4065. Notes by Rasmus Stauri.
2001年09月25日
日本の民謡も聴いています。まったく詳しくないのですが。
何年か前まで、NHKFMで、日曜のお昼前に10分間、
日本各地に伝わる(伝わっていた/唄われていた)民謡を現地の方々の唄で収録した、
その録音を紹介する番組がありました。
「日本民謡大観」という番組で、
都道府県ごとに、あるいはテーマごとに、各回3つほどの唄が聞けました。
小島美子さんが解説をなさってました。
いつもいつも聴いてはいなかったのですが、福岡県や九州各県の回とか、縁のある地方の回のときに、なるべく欠かさないように聴いていました。
わたしは民謡歌手の方が唄ういわゆる舞台民謡も聴きますが、
この番組「日本民謡大観」では、
民謡歌手や民謡名人でない、とくべつな訓練をなさってない(と思われる)方が、
仕事や遊びのときに唄う唄を、唄ってらっしゃるのを聴くことができました。
(その地方の唄の名人が唄ってらっしゃる録音ももちろんありますが)
そうした唄いは、地声だったり音程がとれてないように聞こえたりするのですが、
それがむしろ心に落ちていきました。
「日本民謡大観」は、わたしはもともと、本のかたちで知っていました。
昔、NHKが主体となって、日本各地に残る民謡をテープに収録するプロジェクトがあったそうで*1、
その成果が、『日本民謡大観』(編:日本放送協会)の名で日本放送出版協会から出版されています。
地方ごとの分冊で、全13巻あるそうです。各巻に、採譜された民謡の楽譜が何百唄も収められています。
また、現在出ている版には、掲載されている唄の現地録音を収めたCDがついています。
以前わたしが趣味で作曲をしていたころ(いまでもやめてはいませんが)、
九州の民謡に関心を持って、資料を調べたことがありました。
グリーグが母国ノルウェーの民俗音楽をもとにして作品を作ったのを知っていましたので、
自分でも、ここの土地の唄を知りたいと思ってのことでした。
民謡はその当時はそんなに聴いておらず、好きというのでもなかったのですが、
自分が住んでいる九州の唄なら、心に響くものがあるんじゃないかと考えていました。
そのときに、図書館で『日本民謡大観(九州北部篇)』の本を見つけました。
宝物を見つけた気持ちでした。
で、本を開いて見たのですが、
そのときのわたしには、そこに載っている民謡はこれまで耳にした他の地方の民謡とあまりかわらず、ふつうの日本の民謡で、とりたてて心に落ちてはこない、そんな感じがしました。
ただ、いくらか心ひかれる唄がいくつかあって、
それらは譜面を写して持ち帰り、ときどき口ずさんでいました。
そういうことで『日本民謡大観』を知ったのですが、
そのときに、
民謡はもともとその土地の暮らしのなかで唄われてきた、ということや、
この節回しがぜったいに正しいというような唯一の姿があるのではない、ということを
あわせて知りました。
それは、それまでのわたしの音楽のとらえ方--正しく演奏するとか、鑑賞するとか--とはまた別の、音楽(..という言葉がほんとうは妥当なのかどうか..)のあり方でした。
なので、そのあと、いろいろ考えたものでした。
そのことが、音楽に対するいまのわたしの態度を、作っている気がします。
民謡も、ときどきながら聴くようになってきました。
で、わたしは本の『日本民謡大観』に載っている唄を、聴く、というのはできないと思っていました。
図書館で『日本民謡大観』を見つけてから何年も経って、
あるとき、NHKFMの番組表に「日本民謡大観」とあるのを見つけて、
うれしかったです。
心ひかれて写譜した唄は、すでに放送されていて聞き逃したのか、放送されなかったのか、けっきょく聴けませんでしたが、
番組を聴いていると、唄が唄われている暮らしの場が、スピーカ越しに垣間聞こえてくるようで、
なにか大切なものに立ち会っている感じがしました。
その唄いの場と、スピーカに向かって唄を「聴く」というわたしの場との、隔たりを感じながら。
それらの録音が、ほんとうにその唄の自然な唄いの場を捕らえているのか、と考えると、
たとえば、これから録音します、と言われて、唄いが影響を被ることもあったでしょうし、
仕事唄を、その仕事をしていない別の場で唄ってもらって収録した、といったこともあったのではと思われるので、
その録音が、唄の真の姿を捕らえている、とは言い切れない感じもします。
が、
そこには、五線譜に変換された唄を読むのや、舞台で唄われる民謡を聴くのでは感じ取りにくい(...少なくともわたしには)、
その場のその方々の唄、であったその唄の姿が、
たしかに写し込まれているように思います。
『日本民謡大観』は各地の公共図書館の郷土資料コーナーなどによく置いてあります。
ただ、古い版のものには、CDはついていません。わたしが最初に見つけた本はそうでした(九州北部篇:昭和52年発行)。
新しい版も各所にあるはずですが、
で、置いてあるところを知ってもいますが、
その付録CDを聴ける所を、わたしはまだ知りません。
買おうにも、値段が58000円するので(九州北部篇)、とても買えません。
いつか聴きたいものです。
*1. 民謡研究家の町田嘉章(佳声)さんらを中心として進められたようです。
検索エンジンで「日本民謡大観」で検索すると、紹介しているページがいろいろ見つかります。
参考: http://www.mercury.ne.jp/mgc/kenkyu/mogami1.html
http://www.nhk-book.co.jp/cgi-bin/store/list_book2.asp?m_id=19
2001年09月18日
*
グリーグ/ノルウェー関連のリンクを少しずつ載せていこうかと思います。
なにかお役に立てるものが少しぐらいないと...という感じがしてきて。。。
*
いま、このサイトにはゲストブックを置いていません。
掲示板を運営するつもりは将来的にもまったくないのですが、
ゲストブックは設置したほうがいいのかなあ、と考えはじめました。
ただ、作るなら、ふつうのゲストブックよりは、
ここで載せてきている「グリーグ体験」みたいなものをおうかがいする/お寄せいただくようなコーナーにしてみたい、と思っています。
*
このページ内の各記事へのリンク(アンカー)は、もう少しお待ちください。
来月中にはとりかかろうと思います。
2001年08月13日
北欧クラシック音楽のサイトです。
NORDICFOREST-北欧のクラシック音楽-
おそらく日本語で読める北欧クラシック音楽のサイトとしては、いちばん充実しているサイトです。
毎週更新されているCD紹介と批評がとてもしっかりしていて(...と、わたしなどが言えるものでもありませんが)、
それが累積されて、情報量もものすごいものになっています。
「北欧作曲家投票箱」などお楽しみコーナー?もあります。(ぜひ、グリーグに1票を!)
クラシック音楽のウェブサイトをわたしはあまり数多くは見ていないのですが、
北欧を意識せずにクラシック音楽のサイトとしてご覧になられても、とてもすばらしいサイトなのでは、と思います。
わたしが作っております別のサイト『みちばたみちすがら』のごあいさつで、
そもそもウェブサイトなるものを作ってみようと思ったのは、これまでいろいろなサイトでわたしが勉強させてもらったので、というようなことを書いておりますが、
NORDIC FORESTはそのサイトのひとつです。
北欧音楽/クラシック音楽に関心のある方にもない方にもおすすめします。
...というか、これまでわたしのサイトにお出でくださっている方々のほとんどは、おなじみなのでは?
ジオシティーズ経由や検索エンジン経由でお見えになる方もいらっしゃるとは思っておりますけれど。
2001年08月07日
下の、7月31日付の2つの記事に追記をしました、
また、文面を一部変えました。しっくりこないところがありましたので。
自分で書いていていまひとつ気にくわなかったり、
あるいは後で読み返して直したいところや付け加えたいことがあったときには、
どんどん書き直していきますので、ご了承ください。
(よって、このサイトのページは、文面のコピー&ペースト引用には向いていません。)
2001年08月01日
息抜きに(わたしの息抜き、ですが)、
グリーグ関連のサイトをご紹介します:
Edvard Grieg Museum Troldhaugen (http://www.troldhaugen.com/index.shtml)
トロルハウゲンのグリーグミュージアムのサイトだそうです。
トロルハウゲンの紹介はもちろん、
グリーグの略伝、作品タイトル(作品の一部の一部はauファイルで聴けます)、あとグリーグ語録などいろいろなページがあります。
ただし、ノルウェー語/英語/ドイツ語です。
でも、どれかでも読める方は、ぜひ行ってみてください。
北欧関係のサイトのリンクページには
よくこのグリーグミュージアムへのリンクが貼ってありますが、
ほとんどが古いURLのようです。
わたしもしばらく見つけられませんでした。
***在日ノルウェー大使館のリンクページにある"Edvard Grieg Museum"は上のURLでリンクが貼られてます。2001年8月1日追記***
グリーグ関連のリンクもこれから充実させられたらなあと思ってます。
作品を聴ける所へのリンクなど、調べてぜひ貼りたいです。
...が、次回の記事書き込みはずいぶん先になると思いますので、ご了承ください。
ぜひどなたかにもグリーグサイト/グリーグコーナーを作っていただきたいと、
いつものことながら思います。
2001年07月31日
(2015年6月16日地名を「トロルハウゲン」に改訂)
長いです。。。
このあいだ、中古レコード市が開かれていたので、立ち寄ってLPをあさっていたら、
グリーグのヴァイオリンソナタを収録した、知らないLPがありました。
聞いたことのない演奏者で、これはいったいなんだろうと(レコードですが)、
ジャケット裏面の解説を読んでいたら、
第3番のソナタ (Op.45) の解説に、「第1楽章は展開部のないソナタ形式」だと書かれてあって、
あぜんとしました。
「あるやろうもん展開部!なん書いとるっちゃろかこれ?!」と、ほとんど口に出そうでしたが止めました。
(このページの筆者さんちろくは福岡人です)
**
ここのサイトにお出でになるおおかたの方々は
ソナタ形式についてわたしよりはるかにご承知のことと思いますが、
ソナタ形式は、
2つの(3つ以上のこともある)異なる主題(=メロディー、と思ってもらえばだいたい合ってます)があらわれ[呈示]、
その主題たちが単独に、あるいは絡み合って、形を変えていき[展開]、
最後に元の形の主題が(その色合いをいくらか変えて)あらわれる[再現]、
という、大きく3つの部分からなる、曲の構造です(...これでだいたいいいですよね...)。
***
その解説によると、グリーグは主題を展開するのが苦手で、そのかわりこの作品にはノルウェーの民族色あふれるメロディーがふんだんに盛り込まれており、ソナタというよりはラプソディーかなにか、ソナタとは別のものとして聴くといい、のだそうです。もう正確にはおぼえていませんが。
この作品の第3楽章のほうは、たしかに「展開部を欠いたソナタ形式」にみえ、実際そのように書いてある楽曲解説書も多く、例のレコードの解説も「第3楽章も展開部がない...」と書いてましたが、
(...もっとも、そもそもソナタ形式って、展開部があってこそのソナタ形式なのでは?と、思うのですが、)
第1楽章には展開部があります。
なんであの解説にあのように書かれていたのか、よくはわからないのですが、
グリーグはソナタのような大構造の作品は苦手にしていた、というのが通説らしいですので、
あるいはそれの影響なのかもしれません。
そのLPはちょっと聴いてはみたかったのですが、
結局買わずじまいです。
ただ、
ではグリーグは主題の展開がほんとうに苦手だったのか?と考えてみると、
あまりそうは思えない...というか、
むしろ、みごとだと思ったことがこれまでにしばしばありました。
当のヴァイオリンソナタ第3番の第1楽章展開部も、
第1主題の音形が、原形をとどめつつ、第2主題の音の運びで進行して力を高めていく箇所など、
初めてそうだと気がついたとき、わあっと感じたものです。
『抒情小曲集』第4集Op.47の第2曲、「音楽帳 Albumblad」という曲があります。
エミール・ギレリスの抒情小曲集抜粋LP/CDにも収録されてますので、
このサイトにお越しになられる方の中には、お聴きになった方もいらっしゃるかもしれません。
この曲はわたしは毎度のことながら手がうまく動かないので、うまく弾けませんが、
たまに弾いてみたくなることがあります。
すくなくとも、聴くには好きな曲です。
ヘ長調の軽妙な味わいの楽しい曲で、この曲なら素朴に「好き」と言ってしまってよさそうな感じもします。
で、ある日、楽譜を見ながらその「音楽帳」をつまびいていたとき(だったと思うのですが)、
ふと、
この音形って、ヴァイオリンソナタ第3番と同じなんじゃ?と思いました。
ヴァイオリンソナタ第3番の第1楽章は、冒頭からいきなり、ハ短調の第1主題が激しい音で出てくるのですが
(「激しい?あれが?」と思われた方は、たぶんこの曲にわたしが思い抱いている感じとは別の感じを抱いてらっしゃるのでしょう)、
このハ短調の第1主題と、「音楽帳」のヘ長調のうきうきするメロディーが、
譜面に書かれた音価としてはほとんど同じなのです。
譜例を載せてみました。クリックすると別ウィンドウが開いて譜面が出てきます:
譜例1 グリーグ: ヴァイオリンソナタ第3番Op. 45 第1楽章冒頭部分
譜例2 グリーグ: 音楽帳(『抒情小曲集』第4集 Op. 47-2)冒頭部分
譜例3 グリーグ: ヴァイオリンソナタ第3番Op. 45 第1楽章11-14小節
譜例4 グリーグ: 音楽帳(『抒情小曲集』第4集 Op. 47-2)21-24小節
譜例5 グリーグ: ヴァイオリンソナタ第3番Op. 45 第1楽章39-40小節
譜例6 グリーグ: 音楽帳(『抒情小曲集』第4集 Op. 47-2)17-18小節
微妙にアクセントの付け方などがちがうので、リズム的に同じだとは言えませんが、
似てる、というか、「元」は同じなのでは?
「音楽帳」の含まれている『抒情小曲集』第4集は、作品番号が47です。ヴァイオリンソナタ第3番は作品番号45で、ほぼ同時期の出版です。
この件であまり詳しく資料に当たっていないので、調べれば作曲時期もちゃんとわかるかもしれませんが、
記憶では作曲時期もおおよそ同じだったはずです。
そんなこんなで、
グリーグは、1つの主題(というか、モティーフ)をあれこれと変形していくなかで、この2つの別々の作品を作り出したのでは?と、思えてきました。
ソナタを作曲する際には、おそらくモティーフのさまざまな変形を試みるはずで、
その変形の1つが、ソナタの中では使えないけれど、捨てがたい良さがあった、
それが「音楽帳」になったのでは?と。
そう考えると、「音楽帳」というタイトルも、いかにもそれらしいです。
そのへんの実態は、もちろんわたしにはわかりませんが、
グリーグは、一般に考えられているほどには
動機労作の力に乏しくはない、と思います。
むしろ、
こんなにちがった音楽を1つのモティーフから作り出せる、のなら、
それは想像性の豊かさの証拠なのでは、と思ったりします。
ちなみにそういう意味では、ショパンもそうですね。
グリーグの「モティーフ」については、いわゆる「グリーグ・モティーフ」の話がよく知られているみたいです(有名な、ピアノ協奏曲の冒頭とか)。
それについてはまたいつか、何か書ける...かもしれません。
***以下、2001年8月1日追記
ざっと調べたところ、
ヴァイオリンソナタ第3番は1886年夏ごろから半年かけて作られ、1887年夏から秋に手直しをされて、同年に出版されたようです。
「音楽帳」は1887年6月に"スケッチ"が書かれていたようです。出版は1888年です。
「音楽帳」のスケッチが、どの程度作り込まれたものなのかわからないのですが、
時期的に、ヴァイオリンソナタを作り込んでいた時期より少し遅いのでは?という気もします。
ソナタ作曲中の副産物、というよりは、
少し力がとれた後、ふんわりと訪れた楽想、だったのかもしれません。
そのへんはわからないことなので、
ひとつの想像を決定版にしてしまわないことが大切だろうな、と思いました。
参考資料: Finn Benestad and Dag Schjelderup-Ebbe
(transl. William H. Halverson and Leland B. Sateren) 1988 Edvard Grieg : the man and the artist. Lincoln : University of Nebraska Press
***追記ここまで
2001年07月31日
SGMLの文字参照形式、とかいうやり方で書いてみました。
下の「もじばけ」書き込みの部分もこれで書き直してみました。ブラウザによってはブリンクしてます。
こちらで確認できる範囲では、
Mac OS8.6とInternet Explorer4.5の組み合わせでは読めます。WinMeのIE5.5でも読めてます。
逆にNetscapeCommunicatorでは読めなくなりました...
Bådnlåtは「子守唄」です。グリーグ作品では、抒情小曲集の中にもありますし(第9集Op.68-5、「ゆりかごの歌」と邦訳されていることが多いです)、『19のノルウェー民謡』にも数曲含まれています。
2001年07月30日
...この週末にできそうにありません。
7月31日にはなんとか..!
「婚礼の行列が通り行く」(Op. 19-2) を練習しているところです。
が、手が動かない...
この曲のことはまたゆっくり書きます。
2001年07月27日
Webページ上での日本語とノルウェー語との混在はなんだか難しいみたいですね。
実は、下の、
わたしがふだん使用している端末・ブラウザでは読めます。
Mac OS 9.0とNetscape4.5です。
この組み合わせがくせもの..というか特殊だったようです。
確認のため、Windowsマシンで見てみたり、IEで見てみたりしましたが、読めませんでした。
入力に問題があるのかと、WindowsマシンでIEを使って、ジオシティーズのファイルマネージャーで書いてみましたが、やはりだめでした。
もう少しあれこれ試してみます。
いま、きょうだいサイトの『みちばたみちすがら』の改装をしていて、
それに時間を費やしています。
こちらグリーグのほうの書き込みは、少し滞ることになるだろうと思います。
今月終わり頃には1、2件書き込みたいと思っていますが。
2001年07月03日
下、北欧語の文字を出したかったのですが、
フォントの選択が適切でなかったみたいです。
後日、再度試してみます。
お知らせくださった皆さま、ありがとうございました。
2001年06月27日
B慧nl荊
...これ、ちゃんと出ているでしょうか。
2001年06月25日
...言い得ていないときがあるなあ、と感じています。
下にヴァイオリンソナタ第3番のことを「大好き」と書きましたが、
これがどうも言い得ていない感じがするのです。
この曲に惚れ惚れしているのではないですし、好んで聴いているというのでもないですし、
実際のところ、ひんぱんに聴いてもいません。
ただ、折にふれ、とても聴きたくなるときがあって、
テープやCDを取り出してきて聴くのです。
そういうのを「好き」と言うのかもしれませんが、
たとえばヴァイオリンソナタ第3番には、なにか、好き、と言ってくくってしまえないところがあるのを感じています。
これからあれこれ書いていくのも、どこかうまく言えなさを抱えながらになるだろうなと思っています。
2001年06月19日
お祝いの気持ちを込めて、
ページタイトル変えてみました。
2001年06月15日
グリーグの作品のほかにも、好きな曲、心震える曲がいろいろありますが、
たとえば、
スメタナのポルカや「チェコ舞曲」はかなり好きです。
演奏にめぐまれないどころか、演奏を聴く機会にもめぐまれないですが、
チェコからの輸入盤CDなどで、なんとか聴けます。
これらの作品をしったのもやはりラジオで、
ヤン・ホラークさん(日本の大学の先生でいらっしゃるのだそうですね)の演奏を聴いてからでした。
クラシカル音楽専門に聴いているのでもないですので、
あいまにあれこれ書いてみようかと思っています。
書いたところで、お役に立つのかどうか...と思ってはおりますが。
2001年06月12日
グリーグのピアノ作品の楽譜は、いまでは日本語版も増えましたが、
以前は福岡では一部の有名作品しか店頭に並んでいませんでした。
全音のピアノピースで抒情小曲集の第1集の抜粋を買って、グリーグ作品は永らくそればかりを弾いていました。
何年か経って、その全音から、グリーグのピアノ作品選集が発売され、
大喜びして、すぐには買えなかったような覚えがありますが、買いました。
その時点では、エミール・ギレリスのLPをすでに買って聴いていたはずですが、
それに収録されていない曲もその選集にはいろいろ載っていて、
そんないきさつで、グリーグに関しては、自分が弾いて初めて聴いた作品が、けっこうあります。
「トロルハウゲンの結婚記念日(婚礼の日)」もそうです。
幻影 Illusion は、そんな曲のひとつでした。
抒情小曲集の第6集(作品57)の第3曲です。
全音の選集の掲載曲をひととおり弾きあさったなかで、ひときわ惹かれた曲でした。
曲はイ短調で、オクターブを成す低音の上でメロディーが6度下の音と共にとつとつと(というか、ほそぼそと)奏でられていく、地味な感じの曲なのですが、
その、ほとんど憂うつと言ってもいいような流れのなかで、
長調に転じた歌が一瞬、長7度(と短2度)を響かせるところがあり、
それがまるで、セピア色の部屋の中に青い空の光が射し込んできたみたいに、
そのころのわたしには感じられました。
(ちなみに、わたしが感じるグリーグの音楽の魅力のひとつは、そうした長7度の音程をめぐる音のうつろいです。たぶんですが。)
その、セピアと青の響きをすくいとりたくて、弾いていたのかもしれません。
書かなくてもいいことかもしれないですが、
実は、この曲については、グリーグの伝記や名曲解説本などに載っている楽曲解説で、
良く書かれているのを見たことがありません。
この曲についての記述を読むたびに気持ちがしゅんとなったものです。
でも、
あのころわたしがこの曲から感じ取っていたあの感じは、
疑い消しようがない、ほんとうな感じでした。
曲の優劣を決める価値観なるものがこの世のどこかに存在するとして、
それと、わたしが音楽に体験することごとのすばらしさとは、
別であっていい。
いまそう思うのは、そうしたあれこれを経てのことかもしれません。
グリーグの作品に関しては、
演奏にめぐまれない(と、しばしば言われるような)ことが、
楽曲の評価に影響しているのでは、と
感じるときがあります。
この曲も、いつか、だれかが、すばらしい演奏をして、
「見直される」日が来るのかもしれません。
が、
その日が来ようとこまいと、
この曲はそんなこととは関わりなく、
人を待ち続けるでしょう。
グリーグの遺した作品は、そういうものもののような気がします。
***
あまり吟味しないまま書き込んでいる感じが自分でも若干あります。
もっと短い記事をこまごまと書いていきたいです。どちらかといえば。
2001年06月12日
(2015年6月16日「トロルハウゲンの…」の曲名を改訂)
ここ福岡ではグリーグの作品が演奏されるのをまぢかで聴く機会はなかなかないのですが、
それでも、
コンサートホールの定期刊行物や新聞雑誌の演奏会情報などをこまめに集めていると、
一年に数回くらいはグリーグ作品がプログラムに組まれているのを見つけます。
もうかなり昔の話ですが、
グリーグのヴァイオリンソナタ第3番がプログラムに組まれているリサイタルを見つけ、
出かけていきました。
その時の話です。
... グリーグのヴァイオリンソナタ第3番を初めて聴いたのは、それより数年前にさかのぼる話で、いつものようにFMでだったのですが、
聴いて大好きになり、
まさにテープがすり切れるほどくり返して聴きました。
(ちなみにそれまでわたしはピアノ曲と管弦楽作品ばかりを聴いていたのですが、
それ以降、ヴァイオリン曲や室内楽も聴くようになりました。)
... で、
この曲はどこをとっても好きなのですが(というか、勝手にとれませんが)、
そのエアチェックテープを聴いているとき、曲が或る箇所に来ると、いつも涙が出てくるようになりました。
なぜ、というのは自分でもわからないのですが、
その箇所に来ると、
のどが締まるような感じがしたり胸の底からぐわっと熱がこみ上げてきたり、そのときどきで感じに違いはあるのですが、
ほとんど聴くたび毎度毎度、涙が出てきます。
グリーグのヴァイオリンソナタ第3番がプログラムに入ったそのリサイタルを見つけて、演奏会場でこの曲を聴いたことがたしかその時まだなく、
もちろんチケットをしっかり買いました。
ただ、客席で聴いていてもひょっとして涙が出るんじゃないかと、
少し心配していました。
それまで、演奏会場で泣いたことなどありませんでしたので。
その日の演奏はいい演奏で、
この曲はライブで聴くのがいちばんだと後々思うようになった、その発端だったと、いまでは思うのですが、
その演奏の、いつもテープで聴いて心動かされてきた箇所も、すばらしく美しく、
聴いていて目に涙がたまってきました。
そしてしだいに気持ちがおちついてきた、そのとき、
わたしのすぐ前の席に座っている、後ろから見るとやや年配ながらビジネスマン風の男の方が、くすんくすんと小さく鼻を鳴らしはじめました。
どうしたのかなとも思わずにいたのですが、
その男の方は、掛けていらした眼鏡を外して、目許のあたりをハンカチのようなもので押さえました。
その楽章が終わって、次の楽章が始まるまでの間、その男性の方はそうしていらっしゃいました。
その方は、鼻の具合が悪かったのかもしれないですし、なにか別の理由からかもしれないのですが、
後ろのわたしは、この曲で、ここの箇所で、涙を流す方がいらっしゃるんだ、と思って、
そのことがひときわ、胸に響きました。
そのリサイタルの日の少し後、どこかの図書館で目にしたかなり古い名曲解説本で、
グリーグのヴァイオリンソナタ第3番の項を見ていると、
この曲は昔は日本でもたいへん愛好されていた、という記述がありました。
リサイタルの客席でわたしの前の席にいらっしゃったあの方の、歳の感じを思い出し、
昔この曲をお好きだった、昔からこの曲をお好きだった方だったのかもしれない、と、
あの時の後ろ姿を思い返しました。
演奏会の客席で、演奏の始まる前にひざの上にハンドタオルを1枚出してから聴くようになったのは、たしかそれからです。
2001年06月12日
なので、
何かここに載せることができるよう、
努力してみます。
いま開かれている(はずの)ベルゲン音楽祭、いつか行って聴いてきたいものです。
いわゆるグリーグホールの最終日コンサートもですが、
トロルハウゲンで開かれるミニコンサートに、ぜひ行ってみたいです。
はるかな夢です。
2001年06月08日
(2015年6月16日地名を「トロルハウゲン」に改訂)
...こういう記事を書きたいのではなかった、という気がしてきました。
たとえば、曲の紹介を書きましたが、
その曲が作られた頃のエピソードもさることながら、
曲の「感じ」について、
「この曲はこうこうこういう曲で..」と書くその書き方が、正しいのかどうか、
やっぱり疑わしく思えるのです。
あるひとつの曲、とされているものが、演奏者によって、演奏されるそのときどきによって、また聴き手のそのときどきによって、ちがうもののように(もっと言えば、ちがうものとして)奏でられ聴かれる、
そのとき、それはもう「ひとつの」曲、とは呼べないようにも思われるのです。
この曲はこういう感じの曲なんだよ、と、特定の言葉、特定の表現で語ってしまうと、
そうでなかったあのときのあの奏でられ、あの聴かれは、どうすればいいんだろう、そんなふうに思われてきます。
その曲を語る、のではなく、
あのときのあの奏でられ、あの聴かれを、
これからはなんとか書いてみたいです。
それがいいのかどうか、それもわからないですが。
2001年05月17日
追記(2015年6月16日)
この記事でTroldhaugenを「トロルハウエン」と表記していますが、その後現地のグリーグ博物館にメール・電話等で問い合わせて、「トロルハウゲン」(もしくは「トロールハウゲン」)と表記するほうが適切だと考えるようになりました。
「トロルハウエン」と書いた理由は下の記事中に書いてありますが、現在この表記はベルゲン市立図書館のページでも使われていないようです。この記事を書き直すことはしないでおきますが、ご注意ください。
また、「(トロルハウゲンの)婚礼の日」という楽曲タイトルについてですが、個人的には「婚礼の日」という通常の訳は曲の解釈に際して誤解を与えるおそれがあると考えています。理由は下の記事に書いてあるように、この曲の本来のイメージは「婚礼の日」ではないと考えられるためです。
ただ、では「結婚記念日」という訳がよいかとあらためて考えると、判断が難しいところがあります。この曲に御興味をお持ちの方は、この記事やグリーグ関連の書籍などをお読みになられて、タイトルや曲の内容・解釈に関してそれぞれに御判断をなさることをおすすめいたします。
☆
今、「トロルハウエンの結婚記念日 Bryllupsdag paa Troldhaugen」に、こっています。
へたながらもピアノで弾いたり、CDで聴いたりと、1曲で6分くらいの短い時間ですが楽しんでいます。
御存じの方もそこそこいらっしゃると思いますが、
「トロルハウエンの結婚記念日」は、グリーグのピアノ曲集『抒情小曲集』の第8巻(作品65: 1897年出版)の第6曲で、
グリーグのピアノソロ作品の中では、同じく『抒情小曲集』の中の曲である「春に寄す」や「夜想曲」などと並んで、有名な曲とされています。アマチュアピアニストに人気があるのだそうです。
もっとも、私は、自分で楽譜を買って弾いてみるまでは、耳にしたことがありませんでした。
トロルハウエン Troldhaugen は、グリーグ夫妻がノルウェーのベルゲン郊外の入江のほとりに新居を建てた時、その一帯に付けた名前(だそう)です。
ノルウェー語で trold は「妖精(トロル)」(いまは troll と綴る)、haug は「丘」を指します。語尾のenは定冠詞だと思います。で、Troldhaugen、「トロルヶ丘」。
グリーグの伝記で伝わるところによると、
「トロルハウエンの結婚記念日」は、もともとのタイトルは「お祝いの人たちがやってくる! Gratulantene kommer」というもので、グリーグが奥様のニーナさんへ結婚記念日のプレゼントにと作ったのだそうです。また、出版の前年の1896年にはグリーグ夫妻のお友達の誕生日プレゼントにこの曲の手書き稿が贈られたそうです。
出版の5年前の1892年にグリーグ夫妻の銀婚式がトロルハウエンで盛大に祝われており、グリーグはとても感激したようで、その時の様子をこまかく記して外国の友人に送った手紙が残っているそうです。
この曲は、その銀婚式の日の思い出をそのまま音楽にしたような曲で、にぎやかなお祝いの雰囲気をほうふつとさせます。また、曲の中間部では、美しい風景を眺めながら二人の若い頃を回想しているような、ほろ苦くも夢見心地の時が流れていきます。
..という曲なのですが、
練習を始めた頃は、ずいぶんとバタバタした曲だなあ、などと思ったりしてました。厚い和音の連打が多いのです。
中間部も、歌い方がよくわからず、弾きづらく感じていました。
そんなこんなで、グリーグのピアノ作品の中では、どちらかというと遠ざけていたほうでした。
それがこのごろ、
この曲がもっとのびやかな曲に感じられてきました。
何のせいなのかよくわからないのですが、
おととし買った、ノルウェーのピアニスト Audun Kayser のCDで、この曲をのりのりで弾いているのを、くり返し聴いたせいかもしれません。
そうすると(なのかどうかわかりませんが)、自分で弾く時にも少し軽みが出てきて、
すると今度は妙に楽しくなり、
このごろでは、なかなか指や手首をうまくコントロールできないながらも、気持ちは軽やかに、ポンパパパンと弾いています。
グリーグは最晩年にこの曲の一部を自分の演奏で録音しています。
ノルウェーのレコード会社がそれをCDに復刻していて、すごいノイズ混じりですがそれを聴くことができます。グリーグの自作自演についてはいつかあらためて書いて載せるつもりです。
作品紹介や演奏紹介ができる器は自分にはないと思っていますが、
ある程度のことは載せないと..とも思って、むずかしく感じます。
この曲については、出ているCDで持っていない物が多くて、
おすすめ、というのは言えそうにないです。
上に書いた Audun Kayser のCDは、自分としては好きなのですが、
入手しにくいです(ネットでなら通販という手段はありますが: 私は「ノルディックサウンド広島」で買いました)。また、好みが分かれるにちがいないと思います。
聴き知っている中から挙げるなら、
東芝EMIから国内盤も出ている、ヴァルター・ギーゼキングの演奏が、
グリーグ作品の昔の演奏の雰囲気をとどめていて、いいと思います。
ギーゼキングの、メンデルスゾーンとグリーグの作品の演奏を収めたEMIの輪入盤には、この曲のもっと古い時期の録音も収められています。それも楽しいです。
なお、この 曲名「トロルハウエンの結婚記念日」ですが、
ふつうは「トロルハウゲンの婚礼の日」あるいは「トロルドハウゲンの婚礼の日」と表記されています。
私も「トロルハウゲンの..」と呼んできたのですが、
先日、検索エンジンでみつけたベルゲン市立図書館のグリーグ・コレクションの日本語ページで、
「トロルハウエン」と書いてあるのを見ました。
そうしてみると、私のわずかばかりのノルウェー語知識でも、..ハウエンのほうが実際の発音に近いのでは、と思えてきて、
ベルゲンでそう書いているなら、では今回はそう書いてみようと、ここでは「トロルハウエンの..」としてみました。
「結婚記念日」も、そのほうが曲の意味に合うのではと思って、そう書いてみました。
通常使われているタイトルと違うタイトルで呼ぶというのは、それ自体ちょっとどんなもんかなという気もしますし、
ネット上だと、検索にかからなくなってしまうなど、不都合が生じる面もあると思いますが、
個人サイトなので、考えてみたことをなるべく考えたままやってみようと考えました。
そのへん御容赦ください。
もっとも、haugen が「ハウエン」なら、
Bergen も「ベリエン」なのでは...。
やっぱりわかりません。ごめんなさい。
長くなりました。
2001年05月15日
更新(というか、書き込み)が滞って、
お出でいただいた方々には申しわけありませんでした。
今後も、頻繁には更新できませんので、
御承知おきくださいますようお願い申し上げます。
が、明日にでも、
内容追加できると思います。
予告していたヴァイオリンソナタ第3番ではないのですが。
2001年05月14日
設置以来めったに増えることのなかったカウンタが、先週末に3つも増えてました。。。
先日、北欧クラシック音楽のサイト"NORDIC FOREST -北欧のクラシック音楽-"で投票をしたので、その時書き込んだリンクのためでは・・と想像してます。
まだほとんど何もないのに、ほんとに申しわけないことです。
このページ以外のページもおいおい作るつもりですが、
更新はゆっくりしかできないと思います。。。それも、不定期に。
なので、有名サイトとはぜんぜんちがいます。どうかご承知おきくださいますようお願いいたします。
そのうち、ヴァイオリンソナタ第3番のことを少し書きます。
2001年02月26日
先日書いた、テレビコマーシャルの民謡ですが、
子守唄(baansull) です。
Kirsten Braaten Berg という歌手が唄ってらっしゃるCDがありました。
でも、テレビのはコンピューターミュージック風のアレンジがしてある演奏でしたので、
その音源は何なのか、わかりません。
ノルウェー語の、aの上に丸が付いてるあの字を、どうやって入力するのかまだ知りません。
それ知らずにこんなことやってるなんてちょっと・・・と、思ったりしております。
2001年02月22日
ゆっくり、ほそぼそ、大きな意味を求めず、
はじめます。
2001年02月21日
日曜日に大阪国際女子マラソンをテレビで見ていたら、
コマーシャルで、聞き覚えのある歌が聞こえてきました。
ああ、これあのノルウェー民謡だ!と思い出しました。
グリーグがノルウェーの民俗音楽を題材に多くの作品を作っているので、
ノルウェーの民謡やハリングフェーレなど伝承楽器の演奏にも関心があって、CDも少し持っているのです。
日本のテレビコマーシャルでこれを聞くとは思ってませんでした。
ちなみに、シチズンのエコドライブかなにかのコマーシャルでした。
2001年01月29日
いま、グリーグの伝記にあたっています。
グリーグの伝記は、日本語のものはきわめて少なく、
グリーグだけを1冊の本で扱ったものは、現在は偕成社から児童向けに出ているものしかありません(が、けっこうしっかりした内容の本です)。以前は、音楽之友社から菅野浩和さんの本が出ていたのですが。
図書館で、英語の本を2冊取り寄せて、読んでいます。
作品リストを編集してこのページに載せたいと思っています。
2000年12月18日
グリーグの作品を(グリーグの作品とわかったうえで)聴いたのは、多くの方々とたぶん同じだと思うのですが、小学校の音楽の時間で「ペール・ギュント」を聴いたのが最初でした。組曲で聴いたのか、抜粋を聴いたのかは、はっきり覚えていません。「朝」を聴いて、(たぶん)生まれて初めて、音楽で体が震えました。
しばらくその体験は忘れていたのですが、中学に入って、クラスメイトの影響があって、クラシカル音楽を聴き始めました。当時はショパンがとても好きだったのですが、グリーグの名前が心のどこかに引っかかっていたのか、FMなどでグリーグの曲も探していました。レコードなどやたら買えませんでしたので。
NHKのAMラジオで当時、日曜のお昼前に「希望音楽会」という番組がありました。その番組で、グリーグが生まれ暮らしたノルウェーのベルゲンで開かれている、ベルゲン音楽祭のグリーグ・コンサートの録音が、たしか4週連続で放送されたのです。そのとき聞いた、「19のノルウェー民謡」(Op.66) が大好きになり、それ以後、グリーグの作品、とくにピアノ曲を、好んで聴くようになりました。
そういうわけで、音楽についてなにかサイトで扱うなら、私の場合、グリーグだな、と思っています。
北欧音楽のサイトはいくつか拝見してきましたが、グリーグについて、ページ数をさいてしっかり扱っているサイトは、まだ見たことがありません。
音楽の専門家ではないので、ほかのクラシカル音楽のサイトのようなことはとてもできませんが、グリーグサイトが1つ2つあっていいのでは?と訴えるつもりで、ここでなにか始めてみようかと思っております。
ごく個人的な感想みたいなことしか載せられないですけれど。
2000年11月28日