遠い遠い夢の世界... 自由帳 2014年 |
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2014年12月31日 | 年を送る |
しばらく前の自由帳に、カナダの牧師さんの話を書いた。私が家でひとりでピアノを弾いていた時期に、教会の音楽会に誘ってくださり、グリーグの抒情小曲集から2曲ほどを演奏してとても喜んでいただいた。そのときに、音楽の道に進むようにと強く勧められた。音楽を続けなさいというよりは、その道を行けというお話だった。そのときからいまに至るまで、いわゆる「音楽の道」を歩くことはなかったけれど、そのお話が励みになって、ピアノリレーマラソンのような他の方々の前で自分の音楽を演奏する場に出ていくようになった。音楽の「道」はそれからも変わらずずっと歩いてきた。 牧師さんが闘病中だというお話は以前から聞いていた。先ごろお亡くなりになったと連絡をいただいた。カナダから一時来日されたおりに、次に会うときは私たちがカナダに来るときだとおっしゃったのだが、その機会を作ることができないままだった。 昨年の暮れ、私がこどもの頃にピアノ発表会のたびに聴きに来てくださった親戚のおばあさんが亡くなったことを自由帳に書いた。自分のピアノを喜んでくださった方々を続けてお送りすることになった。とてもさびしい。 今度の2月に弾くことにした「故郷」は、そのおばあさんがお好きで、以前リクエストをいただいていた曲の1つ。私は理由があってこの「故郷」の歌を自分では長らく歌っていない。リクエストはいただいた後に御本人から取り消されたので、そのこともあって遅れ遅れになってしまった。ステージで弾いて天国に届くかどうかは悩まずに、きっと喜んではくださるだろうと思って、「故郷」を弾くことに決めた。 「故郷」を作曲した岡野貞一はクリスチャンで、彼の作品には賛美歌の影響が色濃くあると聞いている。牧師さんも聴いてくださるならうれしい。この道を指し示してくださり、ほんとうにありがとうございました。これからも音楽の「道」を歩いていきます。 今年1年読んでくださり、ありがとうございました。諸事情あって新年はしばらく更新が滞ることになるかと思います。2月の「ピアノの祭」前後には何か書けたらと思っています。どうぞ佳い年をお迎えください。 *** |
2014年12月23日 | 「ピアノの祭」に申し込み |
来年の話ですが、2月に隣町で開催される「ピアノの祭」に参加申し込みをしました。今年の春にグリーグの「春に寄す」を演奏させていただいたイベントです。 今度は、「故郷」を弾くことに決めました。唱歌の「ふるさと」です。決めた経緯はまたあらためて書こうと思います。応募受付開始からあまり日を置かずに曲目を決め、編曲の見通しもわりとすぐに立ちました(時間や小節数や構成はもうほぼ固まっています)。 ただ、「故郷」を弾いているとちょっと情緒不安定になるというか、気持ちが昂ってそのあとの調子がややおかしくなります。編曲作業や練習がどうもあまり冷静沈着にできない感じです。適当な距離をとりつつ当日に備えることができれば…と思っています。 *** ほかにも今年のうちには書きたいと思っていることがあるのですが、ちょっといまは書くのにつらい感じがあります。少し落ち着いて文章を書くことができるようになったら、書いてみます。 *** |
2014年11月14日 | 近況 |
少しあいだが開いてしまったので近況を。 *** 先月18日に志免町の公共施設ロビーで開かれた公募コンサート「はつらつピアノコンサート」に参加しました。参加人数は少ないながら、演奏者の方々がどなたも個性がはっきりしていて、音楽を堪能させていただきました。自分はグリーグの抒情小曲集から「おばあさんのメヌエット」「夏の夕べ」を演奏。「夏の夕べ」はテンポを遅めにとっていて、眠たくなられる方もおられたようです。 志免町は炭坑があった町で、コンサート終了後は遺構や空き地の横を歩いて回りました。北海道の夕張に以前行ったことがあり、そのときも深い青空でしたが、その夕張の景色を思い出しました。 *** 週に1〜2回程度、そのときに立ち寄ることができる公園でオカリナを吹いています。オカリナを吹いていて鳥が来るという話を以前に書きましたが、このごろは鳥だけでなく、お散歩の犬や池の亀がやってきたり、最近ではヘビが這ってきたり漕ぎボートが突っ込んできたりしました。冬の鳥が福岡に戻り始めていて、シロハラも見かけるようになりました。ひとり好き勝手に吹いて楽しんでいますが、近くに来られた方にはいくらかでも楽しんでいただけるように吹きたいなと思っています。 *** 木のオカリナは4作目を彫り終えて、いま小休止しています。先日調子をおかしくして寝込み、かなり落ち込んだのですが、その間、自分で彫ったオカリナの、あまり鳴りが良くないもの1本だけが吹くことができ、自分の作ったオカリナに助けられた感じがしています。 *** ピアノをやっている、オカリナをやっている、…と言えばそうなのですが、特定の楽器をやっているというよりも自分は音楽に携わっている、携わっていたい、のだと思いました。音楽全般ではなく、自分が知っている、自分が作り出したいと思っている、自分が惹かれている、そのかぎりでの音楽ではありますが。そういう「音楽」がそれぞれのひとそれぞれにあって、何かしら聴き、何かしら生み出し、何かしら歌い奏でる、自分はそういうことのなかのひとつ、そうしたひとたちのうちのひとりなのだと思いますし、そうでありたいと思います。 *** |
2014年10月11日 | 自分の作品を載せてみました |
先日、筑紫野市文化会館の大ホールでピアノ(ヤマハCF)を弾かせていただきました。ふだんからピアノを弾いている一般の人を対象に時間貸ししてもらえる企画で、非公開でステージで演奏できます。別の施設での演奏会が来週なので、そしてそちらもピアノがヤマハなので、その練習をするとともに、以前から自作曲を録音してウェブに出してみようかと思いつつ実行しないままだったので、自作曲の録音をやってみました。 2011年に作ってピアノリレーマラソンで弾いた「桜」と、もうひとつ「そら(ひとつの手で)」という曲を録音してみましたが、「桜」はうまく弾けませんでした。「そら」もあと何度か弾いたらもう少しいい演奏ができたかもしれないですが、せっかくチャレンジしたので、その「そら」の録音をネットに上げてみました。 「そら」はどちらか片手で弾くように作ってあります。2003年の秋に着想し、翌2004年にいちど完成してその年のピアノリレーマラソンで弾きましたが、意にそわないところをその後手直ししました。自分ではふつう左手で弾いています。 録音機材は古いMDと簡単なミニコンデンサーマイクで、「よい」音ではないです。サラッと聞き流していただける程度にはなんとか録れているのではと思っていますが…。「作ったもの」のページにリンクを張ってありますので、もしよろしかったらお暇なときに流してみてください。そのページには昨年の秋に作った「ちいさな秋」シリーズも載せています。 作曲はこどもの頃からやっていて、小学生の頃は歌謡曲を作っていました。当時ラジオで毎週「ベスト歌謡50」という番組が放送されていて、それを聴いたり、また当時見ていたドラマで登場人物のこどもが歌を作っていた(たしかそんなだった)のに影響されたりしてのことでした。そうしているなかで、「歌」ではないものもピアノで作ったりしていて、中学生の頃からピアノ曲をいろいろと作り始めました。当時ピアノのレッスンを受けていた先生から和声の教本をお借りして自習したりもしていました。 しだいに現代音楽に関心が向くようになり、そういう方向を進路に考えたこともありましたが、けっきょく音楽を人生懸けてやっていくのとは違う人生コースを採ることになり、またクラシック音楽やばりばりの前衛音楽よりももっと「ゆるい」音楽が自分に素直だと思うようになり(当時は「ゆるい」という言葉を使っていませんでしたが)、なんともつかない曲を作って譜面を書いてはフォルダに溜め込んでいます。 むかしは、「趣味で作曲をしている」と話すと、歌を作るとかでなければ、とても変わったことをしているように受け取られていました。いまはたくさんの方が趣味で作られた作品をいろんなサイトにアップしておられて、なんだか隔世の感があります。これからもそのときどきの作りたいものを作りたいように作っていきたいなと思っています。 *** |
2014年10月3日 | 近況 |
オカリナを週に1〜2回公園で吹いています。以前、大きな公園で吹いているとシロハラやカラスやスズメが来ると書きましたが、最近はお散歩途中の犬や池の亀がやってきました。つい先日はヘビが出てきてさすがにびっくりしました。オカリナを吹いていると小動物がやってくるという噂をたまにネットで見かけますが、いまのところ特に襲われるでもなく、楽しんでいます。 木のオカリナを作っていて、現在3作目を彫っているところです。2作目は9月に出来上がり、音色がいい感じにとぼけていて、気に入っています。 夏のピアノリレーマラソンは出なかったのですが、こんど別の施設で一般の方々を募集してロビーコンサートを開くとのことで、申し込みをしました。グリーグの「おばあさんのメヌエット」と「夏の夕べ」を弾く予定です。「おばあさんのメヌエット」はロビーで弾くときにはだいたいいつも弾いています。「夏の夕べ」は最近また指が回らなくなっているのですが、そしてタイトルが季節はずれな感じがありますが、このところしばらく好んで弾いてきた曲なので、夏を思い出しながらこの機会に弾いてみたいと思います。 「憾」のページをなんとかしたいと思っていますが、どう編集したらいいかアイデアがなく、ちょっと見込みが立たない感じになっています。ゆっくり取り組ませてください。 *** |
2014年9月6日 | ピアノリレーマラソン |
8月17日(日)にピアノリレーマラソンを聴いてきました。今年は1日かぎりの開催で、プログラムによると119組が演奏なさることになっていて、もし通しで聴くと7時間ほどの予定だったようです。私はしばらく前から全時間を通して聴くのは断念し、主に後半の時間帯を聴いています。今年も後半の約40組の演奏を聴かせていただきました。 今年は新しい方も多く、常連の方も新機軸の選曲で臨んでおられたりして、また新鮮な気持ちで聴くことができました。「かっこうワルツ」は全曲初めて聴いたような気がしますが、こんなに楽しい曲なんだと知ることができてうれしかったです。卒業を控えた年次の方々が思いを込めて弾かれた演奏も感動がありました。とても強い印象に残ったのは、弾いているうちにだんだん好きになってきたとおっしゃる若い方の、ブラームスのラプソディーop.79 no.2でした。この曲の凄みのようなものにしっかりと届いている演奏だと感じました。これからも永く大切に弾いていってほしいなあと思っています。 ピアノリレーマラソンでは出演者の方々との再開も楽しみで、今年もお会いすることができてほんとうによかったです。私は今年は出場を見送ったので若干肩身が狭い思いもありましたが、なじみの方々が変わらない笑顔で話してくださるのでうれしかったです。 出場しなかったことについては自己納得していたので個人的には何のわだかまりもないつもりでいました。が、客席でステージの方々が演奏されているのを見て聴いているうち、ふと、自分も弾きたかった…という気持ちがわっと湧いてきました。来年こそどうしているかまったくわかりませんが、チャンスがあるようなら応募して今度は弾かせていただきたいと思います。 *** |
2014年9月4日 | グリーグの命日 |
9月4日はグリーグの命日でした(1907年)。夕方、公園に立ち寄ってオカリナで「農夫の歌」を吹いてきました。「農夫の歌」はオカリナを再開する前から旅先でミニオカリナで吹いたりしてきて、いまでも日ごろよく吹いています。グリーグを偲ぶのにふさわしい曲かどうかわからないですが、ほかに特別なこともできなかったので、夕焼けの景色の中で2分ほど吹いてきました。 ピアノのほうでは「夏の夕べ」が解釈がだいたい固まり、これからはこのように弾いていきたいと思うようになりました。「19のノルウェー民謡」もあらためてじっくり取り組みたいと思っていますが、こちらはひととおりさらい直すだけでも相当長い時間を掛けることになりそうです。 ピアノリレーマラソンのことをまだ書いていませんでした。もう少ししてから短く書きたいと思います。 *** グリーグの「夏の夕べ」を、まちがって |
2014年8月18日 | ピアノリレーマラソン |
ピアノリレーマラソン、今年は客席で拝聴しました。毎年お目にかかれる方々や新しい方々の演奏を聴くことができ、とてもよかったです。みなさまおつかれさまでした。あまり遠くないうちにここに感想を少し書こうと思いますが、近日中には難しそうです。 |
2014年8月4日 | オカリナ・ノート追加 ほか |
*** 「オカリナ・ノート」を追加しました。時間を掛けてたくさん書いたわりに内容は薄いです。 *** ピアノではヴァーレンの間奏曲を再度弾いています。曲中に鳥の鳴き声を思わせる動機や、それに対して人が歌うような動きをする動機があり、何度か弾いているととても落ち着きます。 いっぽう、シベリウスのソナチネは細かいところでちょっと感覚が合わなくなってきました。自分のこのところの気持ちのあり方と関わっているのかもしれないですが、少し寝かせようと思っています。 *** ピアノリレーマラソンの季節になりました。どうやら聴きに行くことはできそうな様子です。客席で楽しみたいと思っています。 *** 追記 8月6日 オカリナ・ノートの記事に、「西浦の子守唄」を吹いたmp3を追加しました。「西浦の子守唄」ページにリンクを置いています。 |
2014年7月14日 | このごろ |
*** 先日の訂正記事にも書きましたが、去る6月29日は瀧廉太郎の命日でした。亡くなったのが1903年なので、今年で111年になります。この時期に追悼行事が行われるところもあり、いつか出かけたいと思っているのですが今年も無理でした。当分は難しそうです。自分ではこの日、オカリナで「荒磯の波」「荒城の月」「メヌエット」を吹いてみました。 *** しばらく前から木でオカリナを作っていて、さきごろ出来上がりました。「オカリナ・ノート」のほうに少し書いています。 *** ピアノでは引き続きシベリウスのソナチネとグリーグの「夏の夕べ」を中心に練習しています。 *** 曲名を訂正しました(グリーグ「夏の夕べ」)。失礼いたしました。2014年9月5日 |
2014年6月26日 | (訂正) |
さきほど、6月25日が瀧廉太郎の命日だという記事を載せたのですが、正しくは29日です。おわびして訂正します。この勘違いには理由があるのですが、いまはとりいそぎおわびを申し上げて失礼いたします。 *** |
2014年6月15日 | 今日6月15日はグリーグさんの御誕生日です。 |
今年で171歳になられることと思います。 今日は一日別件で動いて先ほど帰宅し、何も特別なことができていませんが、いまノルウェーのピアニスト、アウドゥン・カイセルが演奏するグリーグ作品集CDを聴いています。このCDはよく聴くCDで、その意味でも何も特別ではないですが、生誕百何十年記念のお祭りから離れた自分なりの6月15日を送るのにちょうどいいと思っています。おおまかにグリーグの生涯をたどる順に作品が並べられていて、たぶん今日の夜更けにグリーグ最晩年のピアノ曲「民謡(ヴァルドレス地方より)op.73-4」にたどり着くことになりそうです。 *** |
2014年6月7日 | このごろのこと |
*** 耳はどうもオカリナの「音」にやられたというより、自分の吹き方の問題で耳管を傷めたような様子で、いまは養生をしています。 *** パウル・バドゥラ=スコダ ピアノリサイタル(2014年5月28日 アクロス福岡シンフォニーホール)を聴いてきました。2009年の時には聴けず、今回も行くのが難しそうでチケットを買うことができていなかったのですが、さいわい当日券が出て、聴くことができました。感動といいますか、深い感銘を受けました。かんたんに書くことができない気がしていますが、ひとことだけ書くと、そこに音楽そのものがありました。 演奏はふつうそれ自体では音楽そのものではなく、演奏と音楽とは何らかの「ずれ」を伴いながら進んで行くものだと思うのですが(というか、そういうことをこのリサイタルのあとで考えました)、たとえば聴いていて「演奏」のことが感じられず「音楽」だけが聞こえてくるようなことがあったり、「演奏」面での問題が感じられて「音楽」との距離を感じたりすることがあったりするものだと思いますが、バドゥラ=スコダの演奏はそれが音楽そのもので、「音楽」と「演奏」との間の「ずれ」とか、目指している「音楽」に対する「ゆらぎ」みたいなことがなく(これはたとえば「ミスタッチがない」といった事柄とは別次元の話です)、だからいま聞こえているそれをひたすら聴いていればそれでよい、そう思われました。そのように聴いてとてもしあわせな時間を過ごしました。唯一無二な体験だった気がします。 演奏曲目などに沿ってもう少し具体的なことを書きたい気持ちもありますが、しばらく寝かせておきたいと思います。今回の日本ツアーは日本での最後のコンサートだという話を聞いていますが、できればその話を撤回してまた来ていただけたら、なんとかして次回も聴きたいです。 *** 瀧廉太郎「メヌエット」「憾」の自筆譜に基づく新しい楽譜が刊行された話をしばらく前に書きました(3月25日付)。自分の「憾」記事はまだそうした出版譜がなかった時期にその状況を受けて書いていたので、そのまま読むと「まだ自筆譜に基づいた版はないんだ」と思われてしまいそうで、どうしようかと考えています。記事を書き直すにしてもどう直したらよいかよくわからず、何かコーナーのつくりを変えてこれまで書いた記事を位置づけ直すのがいいのかなと思っています。ひとまず最初のページにかんたんに追記をしました。 「憾」手稿譜に関するあの一連の考察を載せたことに対しては、自分のような無名のペンネームの者がああいうことをウェブ公開すると、他の音楽家や研究者の方々が同様のこと(1903年2月の自筆譜が「憾」の現行譜のおおもとだという考え方)を発表したり同様の考え方で新規の版を編集したりするにあたって障害になってしまうのでは…という懸念が少しありました。論文みたいなものを書いて雑誌に投稿すれば、掲載されれば少なくとも被引用対象にはなれるので、そのほうがその後の研究をいろいろな方々に進めていただける上でよかったのかもしれませんが、自分は音楽関係の研究コミュニティに所属しておらず、つてもなく、あれを書いた当時はそういう知恵も回りませんでしたし、なんとかして投稿したとしても採用もされず顧みられもしなかっただろうと思います。 しかし、考察を書き足していく間に、「憾」や「メヌエット」の自筆譜に言及した新書が刊行され、今回新しい楽譜が刊行されて、「憾」の本来の姿(だといまのところ私が考えているもの)が世に知られる機会が整ってきました。それでいくらか気持ちが落ち着きました。これまでの出版譜の譜面がどう成立したのか、自筆譜との関係はどうなっているのかという問題はともかく、演奏したい人は今後は既往の出版譜一辺倒ではなく、個人の考えで楽譜を選択することができるわけです。少なくともそういう、版の選択ができる状況になったことは大きな進展だと思います。自分の書き物はウェブの片隅に置いておいて(もし何か必要が出てくればがんばって紙媒体で名前入りで書くことも考えてみますが)、引き続き自分なりの関心でゆっくり考察を進めていきたいと思っているところです。 ところで、このごろは「憾」関連で検索していると例の「都市伝説」の勢いがとても強く、多くの人が「憾」にちょっとおかしな(と自分には思える)イメージを持ってしまっているのがうかがわれます。あの説に対しては疑問を投げかけることができる伝記事実がいろいろあり、個人的には関心がないのですが(瀧が作曲した『幼稚園唱歌』のうちいくつかの歌と同テーマの唱歌が後に別途成立したその過程についてはちょっと興味があります)、「憾」のいち愛好者としてこういう事態になっていることに「憾み」がなくはないです。そういうことも含めて、何か「憾」についていろいろな角度から見ていくようなページの改訂ができればいいのかもと考えていますが、自分の手には余りそうです…。 *** 行きたいコンサートと言えば、アルド・チッコリーニリサイタルが今月日本各地で催されるとのことで、今回はグリーグのソナタが演目にあることもあり、いろいろな面の余裕があったならば聴きに出かけたかったところです。チッコリーニさんは(も)また来てくださると信じて、いまは心安く暮らしていきたいと思います。 *** ※ パウル・バドゥラ=スコダリサイタルの日付を書きまちがえていたので訂正しました。6月8日 |
2014年5月27日 | 耳が不調 |
*** 耳の聞こえがよくない。しばらく前から、オカリナを吹き終えたあと耳がちょっと遠いような感覚があり、ほどなく落ち着いていたものの、このごろその感覚が残るようになった。特に左耳があやしい。また大きな音や金属性の音がすると耳に「響く」感じがある。耳鼻科の診断では聴力に異常はないとのことだったが、パソコンで発振音を出して聴いてみると、左耳が右耳より高音域が聞こえておらず、自分の不調感はまちがっていないようだ。 以前に無線を楽しんでいた頃、スピーカーからノイズに埋もれた信号を集中して聴いていて同じような状態になったことがあり、そのときはしばらく無線を止め、使用する無線機も取り替えて、それでよくなった。今回はオカリナが原因なのでは(少なくとも誘因ではあるだろう)と思うので、練習頻度と時間を減らし、吹くのも耳栓を着けたり耳にあまり響かないオカリナを使ったりしてみた(処方薬も服用している)。ただ、吹かないでいると様子が落ち着くのだけれど練習を再開するとまた聞こえが悪くなる感があり、やはり練習自体を控える必要があるかもしれない。 高音域が聞こえないと、虫の鳴き声や鳥の声など自然の音がさびしくなりそうだし、音楽も倍音成分が聞こえないと味気なくなりそうなので、(年相応ではあるのかもしれないが)できれば聞こえ続けてほしい。当分、耳をきちんといたわって、無理のない形と仕方で音楽を楽しみたいと思う。 *** |
2014年5月9日 | このごろ |
*** 連休中は比較的時間がとれ、公園でオカリナを吹いたり、ひさしぶりにロビーでピアノを弾いてきたりした。 オカリナを吹くとカラスやシロハラなど鳥が来る、ということを少し前に書いたが、先日は公園のベンチでオカリナを吹いていて、スズメが1羽やってきた。その公園では鳥にエサを与える人が多く、スズメもおおかたエサをもらえそうだと思って近付いてきたのだと思う。でもシロハラなどのこともあったので、近くに来たそのスズメにオカリナで適当に鳥の鳴きまねっぽい音を出して聞かせると、エサをやりもしないのに、スズメが私の足元にうずくまり、ときどきこちらを見てじっとその場を動かずにいる。調子に乗って立て続けに鳴きまねや鳥のさえずり風に聞こえる曲を吹き続けるあいだ、スズメは一向に動かずじっとしていた。ベンチの後ろを歩いて行く人たちがスズメに気付いて「見てスズメがおる」という声がしたり、私がオカリナでスズメと話していると思われたのか、「すごい」と言われたりして(私は吹き続けていてリアクションできない)、そんなこんなでそのまま10何分か、とにかく吹いて聞かせ続けた。スズメはその後、がやがやと通りかかった団体観光客にびっくりしたらしく飛び去って行った。 もともとオカリナで適当に音を出して遊ぶのが好きだったが、スズメのおかげで、オカリナでずいぶんといろいろな音を出せるようになった。スズメが飛び去ったあと、ぼんやりと、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」を思い出した。 オカリナはひところ歌謡曲をいろいろ吹いていたが、いまは童謡・唱歌で季節に合ったものを吹くことが多くなった。このごろは「茶摘み」「こいのぼり(新・旧)」「夏は来ぬ」といった歌を吹いている。そうした曲が目の前のみどりの景色によく合う感じがする。それから、場所によってはグリーグの「春」を吹いている。五月の青空の下で「春」を吹くと、景色の見えない遠くへと音が届いていくような、そんな感覚がある。 オカリナにしてもピアノのロビー演奏にしても、目の前で(あるいは真後ろで)立ち止まって聞いてくださるような方はあまりおられないのだが、やってきて近くに腰掛けていく方はしばしばおられる。この前のピアノの時は高校生ぐらいに見えるもともとロビーでたむろっていた男子から小さな拍手をもらった。また演奏をひととおり終えた時に、正面に女性の方がひとり立っておられるのに気が付いて、目が合ったのだけれど、会釈するだけで失礼をしてしまった。そういうときにきちんと起立しておじぎをするのが本当なのだろうけれど、その方はたまたまそこに立っておられたのかもしれず(自動販売機がそこにある)、「聴いていただけた」とこちらが勝手に思うのが僭越な思い上がりな気もする。失礼をしてしまっていたら申し訳ないという気持ちもありながら、私としてはそのような時どのようにするのがよいのか正直よくわからないでいる。でもやはり聞いてくださったことのお礼は伝えたい。これまでの失礼はもう返上できないけれど、次の時はきちんとおじぎをしたいと思う。 *** |
2014年4月17日 | このごろ |
*** このごろ、シベリウスのソナチネop.67が好きになって、聴き弾きしている。舘野泉さんのCDを持っていてこれまでもときどき聴いていたのだけれど、最近まであまりぴんとこなかった。なぜか急にいいなと思うようになり、繰り返し聴くようになり、先日は(出費を極力セーブしているなか)グレン・グールドが演奏しているCDを買った。何がいいというのが言えないけれど、感じだけで言うといまの季節の花のような感じがしている。弾くほうは第1番を少しずつ練習中で、いつものように曲に触れているだけで十分楽しんでいる。 ヴァーレンの間奏曲も練習中で、こちらはようやくいくらか形が見えてきた。小さなモティーフ(それぞれに固有の意味がある様子)が密に組み合って音楽が成り立っていて、モティーフと「音楽」との相互関係を確かめながら取り組んでいる。 *** オカリナでは歌謡曲を吹くことが多くなった。自分で知っているのは1980年前後の曲が中心。歌は歌うのがいいとも思うけれど、歌の楽譜を見ながら吹いてみると案外楽しい。少し前から松田さんの「Sweet Memories」を練習し始め、いまは八神さんの「みずいろの雨」やサザンの曲に手を出している。指や息の使い方の練習にもなる。ただ、ポップスの雰囲気に少し酔っているような気もしていて、民謡など落ち着いた曲や、即興のフレーズなども代わる代わる吹いている。 全体に練習時間を長くとらないようにしていて、時間のうち半分はロングトーンやタンギングの練習にあてている。外で吹くことも多い。外で吹くとやってきていたシロハラはどうやら北へ帰るときが来たようで、見かけることが少なくなった。さびしいけれど、彼らがこちらへ戻ってきたときに、また聴いてもらうことができれば…と願っている。 *** ピアノリレーマラソンは今年は応募しなかった。どうも市外の人の募集は1日で定員に達した様子。当日聴きに行くことができれば拝聴したいと思っているが、自分の生活自体がそのうち大きく変わることになりそうで、そのころどうしているか正直まったくわからない。「また来年!」と挨拶した皆さんには申し訳ないけれど、客席か、別のどこかで応援しています。自分も状況が許すあいだは弾き続けていくつもりでいる。そして状況が許さなくなっても、どのくらいかのわずかでも、音楽を続けていきたい。 *** どこかの時点で更新頻度が落ちるかもしれません。そうなる場合、その前にお知らせしたいと思います。 *** |
2014年4月3日 | このごろ |
*** オカリナではこのところ森山さんの「さくら(独唱)」を吹いていた。一時期よく歌っていた歌で、当時は付き合いのある人たちとカラオケに行くようなこともあったのでそういう場でもたまに歌っていた。懇意にしてくださった方の送別の際にも歌った。その後しばらく歌っても聴いてもいなかったのだけれど、この春、オカリナでひょっとしたら吹けるかもと思って吹いてみたらいくらか吹けたので、しっかり吹きたいと練習していた。この歌を公園で吹いていると、これまであまり気付かなかったのだけれど、近くで腰掛ける方々をときどき見かけた。いくらかでも佳く響いてくれていればと思う。 福岡ではさくらが舞い散り、送別の季節も過ぎていった。また来年、そのころにオカリナをやっているのであれば、練習を再開して吹きたい。 *** ピアノリレーマラソンの募集案内が発表されていた。私は隣の市に住んでいるのだが、今回の募集では市外の人の参加に制限が掛かっている。先着順受付で市内の人が先に受付開始されるため、市外の人を受け付ける前に定員に達して締め切られる可能性もありそう。これまで参加されてきている大人の方はかなりの方が市外在住なのでは…とも思うけれど、自治体のイベントなのでこうした制限が掛かるのは仕方ない面があるかも。今年は私は当日出られるか現状まったくわからないので、この制限を受けて、残念だけれどそういうめぐりあわせなのだなと思って今回は申し込みを遠慮しようかと考えている。 *** というより、音楽を今後これまでのように続けられるかどうか、わからなくなってきた。もう少し経ったらどうなるか決まってくると思う。 *** ひさしぶりにカザルスのバッハ無伴奏を聴く。気付かないうちに歌っていた。 *** |
2014年3月25日 | 瀧廉太郎のピアノ作品刊行 ほか |
瀧廉太郎のピアノ作品「メヌエット」「憾」をめぐって、自筆譜とみられる手稿譜(と現行出版譜とのずれ)のことをおりおり書いていますが、先ごろこの2作品の自筆譜をもとにした楽譜が東京のミューズテック音楽出版さんから刊行されました。 ミューズテックさんからは昨年ここの掲示板で「憾」についてお問い合わせをいただき、そのあとメールでやりとりをさせていただきました。今回出版されるサンプルをお送りいただきましたので、ご紹介を兼ねてお知らせします。 「憾」記事のほうで何度か書いていますように、以前から、瀧の「メヌエット」「憾」の自筆譜をもとにした楽譜が出版されることを希望していました。「瀧廉太郎資料集」のような研究用の文献だけでなく、実際に刊行譜が出ることで、この2作品の「真の姿」への関心が今後高まるのではないかと思います。この2作品の知られざる「姿」が広まっていき、多くの方々の関心が向けられるようになることを期待したいです。 ミューズテック出版 http://www.musetech.jp/ > 瀧廉太郎「2つのピアノ小品集」 *** ヴァーレンの間奏曲op.36を練習し始めました。ヴァーレンやこの作品に関してはまた時間をとっておいおい書いてみます。 *** オカリナの練習も続けています。公園で吹くことが多くなりました。いろいろと声をかけていただいたり聴いていただいたり、ありがたい楽しい体験をしています。年頭に買ったオカリナにもだいぶ慣れてきました。引き続き楽しんでいきたいと思います。 *** |
2014年3月6日 | ピアノの祭 |
近隣の町で開催された「ピアノの祭」でグリーグの「春に寄す」を弾いてきました。「ピアノの祭」は、私がときどき参加していてここでも書いてきた別の市の「ピアノリレーマラソン」同様、誰でも5分以内でステージのピアノが弾けるというイベントで、聴くだけは何度か聴いてきたのですが、今回初エントリーしました。 「ピアノの祭」は午前の部と午後の部に分かれていて、それぞれの部の最後に記念撮影があるということで会場に残られる方が比較的多いように見受けました。そのほかはこれまで参加してきたイベントと同様の進行で、初参加ながら気楽に臨むことができました。 私は午後の部の参加で、事情のため会場入りしたのも午後からになりました。こどもさん含めて上手な方がやはり多かったです。どの方の演奏も味わい深く聴かせていただきました。 私のほうは当日前まで曲の姿を見失っていて、当日どうなるか心配しながら練習してきましたが、前々日にふいに解釈がまとまって、当日はそのように弾きました。弾けたかどうかは自分ではなんとも言えないですが、めずらしくミスはなかったように思います。なんにしても、自分の力で弾いた弾けたという気持ちにはまったくならなくて、ただただそうなるようになった感じがしています。 ピアノリレーマラソンのほうでときどき御一緒する方をはじめ他の方々ともお話しでき、皆様のピアノに向ける思いを浴びて、いい刺激になりました。ステージで記念撮影の後、ステージに残って他の方々が個人撮影されるのにおつきあいしたり話をしたりしていましたが、お一方、とてもすてきな演奏でしたとおっしゃってくださり、とてもありがたかったです。 会場外の施設エントランスにもピアノがあり、実はここでときどき弾いているのですが、そのピアノをグループで借りられた方々がかわるがわる持ち曲を披露されたり、こどもさんの演奏に即席レッスン?が始まったりと、外でも『ピアノの祭』が繰り広げられていたのが印象的でした。 楽しい一日を過ごすことができました。 「春に寄す」はむかしから弾いていますが、「抒情小曲集に寄す」でちらっと書いたとおり、私には長らく、よくわからない曲でした。分散和音を弾くのが上手くないこともあり、どちらかというと苦手な曲でもありました。 今回思い立って弾くことに決め、いろいろ思い考えながら取り組んできて弾き終え、いまはそうした違和感はありません。グリーグ自身の演奏や多くのピアニストの演奏とはかなり違う曲想になった感じですが(ちなみに「春に寄す」の演奏は、演奏時間が2分台の速い演奏と4分台のゆっくりした演奏のどちらかが多いのですが、私は3分台だったろうと思います)、これでよかったと思っています。 福岡にはいつのまにか春が来ていたようです。「春に寄す」は春を迎えた歌なのではなく、来る春に寄せる歌なのだと気付いてから(ほんとうにそうなのかは、わかりませんが)、この時季に「春に寄す」を弾くことの意味をあらためて思いました。 (いのちあるものに、生き返れ、いきかえれ、と、ささやき呼び掛けて、緑が芽吹き小さな生き物たちが動き出すのを見届け、みずからは春に消えていった冬のおわりの雪のひとひらひとひら。「春に寄す」のどこかに、そんな「雪」の呼び掛けがかすかに聞こえるような気がしました。その呼び掛けに私も応えて、)ピアノをありがたく弾くことができたことを胸に、この春をよろこびたいと思います。 *** 追記(3月6日):いまになって、ノルウェーの詩人ヘンリク・ヴェルゲラン Henrik Wergeland (1808-1845) に "Til Foråret" 「春に寄す」(1845) という詩があることを知りました。グリーグの「春に寄す」とまったく同名です。そうしてみるとグリーグが「春に寄す」を作曲した際にこの詩のことを踏まえていないはずはなかっただろうと思いますが、少し勉強してみます。 ヴェルゲランの「春に寄す」原文(現在のノルウェー語とは少し違い、まだデンマーク語の語彙や綴り方の影響が残っているものです。ちなみにヴェルゲランは書き言葉としてのノルウェー語の脱デンマーク語化を進めた人として評価されているそうです。「春」を意味するデンマーク語風の語彙 forår が用いられているのはこの当時はこの語が使われていたからなのではと思います)は、ここで読めます: オスロ大学ドキュメンテーションプロジェクト内 テクストコレクション ヘンリク・ヴェルゲラン著作全集より http://www.dokpro.uio.no/wergeland/WI3/WI3140.html *** |
2014年3月2日 | 「ピアノの祭」参加 |
「ピアノの祭」でグリーグの「春に寄す」を弾いてきました。いまはただ手を合わせていたい気持ちです。ありがとうございました。参加記は近々に書きたいと思います。 *** |
2014年2月27日 | このごろのこと追記2 |
「覚え書き」に「まちかど音楽」を書き始めました。まちかどで少々音楽をやっていたころのことを振り返りながら、大量生産でもなければセレブ志向でもない、音楽のありさまが何か描けたらいいなと思っています。しばらくは思い出話が多くなりそうですが、最近体験したできごとや考えていること、やっていることなども書いていけたらと思います。 「春に寄す」はすっかり見失ってしまいました。当日(次の日曜日)までにできることはそうなく、土曜日にいろいろのことを振り返りながら外を少し歩こうと思っています。 *** 追記(3月1日) いくらか見えてきました。今回はグランドピアノでほとんど弾いていないのでステージでどうなるか皆目わかりませんが、あまり気にせず、思うまま弾いてこようと思います。 |
2014年2月25日 | このごろのこと追記 |
オカリナ・ノートに「西浦の子守唄」を追加しました。この唄のことはオカリナを離れて別に書きたい気持ちもあったのですが、どういう項目を立てたらいいかわからず、ひとまずオカリナ・ノートに書きました。 番外で、「西浦の子守唄」をオカリナで吹いたものをSoundCloudに上げました。まだ吹きこなれていませんが(早い話、下手ですが)ご容赦ください。原曲よりテンポをゆっくりとってあります。 "Nishinoura lullaby (ocarina version) 西浦の子守唄 オカリナ版" *** |
2014年2月24日 | このごろのこと |
*** オカリナの練習を続けている。時間は1日10分〜30分。息が続くようになってきたが、息の細かい震えが減らない。 週に1度ほど公園で吹いている。ときどきカラスがやってくる。このごろではシロハラが少し離れたところからじっと見ていることがある。シロハラのさえずりはひょろひょろとかわいい歌で、オカリナの音がちょっと似ていて気になっているのでは…と思っている。 *** オカリナで吹いている曲のことはもう少し余裕ができてから書きます。 *** 「ピアノの祭」まであと1週間。午後3時ごろの出演だと連絡をいただく。 演目の「春に寄す」、細かいところをこうしたいというのが次々と出てくるが、それ以前に全体があまり締まっていない。弾けなさと取っ組み合っているうちに、日々起きることに揉まれるうちに、もともと自分は「春に寄す」をどうして弾きたかったのか見失ったような気がしている。 蝋梅は花の盛りを過ぎ、早咲きの桜が咲き始めた。朗々と歌い上げるよりははるかに静かに、春が来ようとしている。私は、この来る春に寄せて、静かに自分なまりの歌を歌うしかないかもしれない。それがどう響くか全然わからないけれど、誰の歌でもない歌を歌うよりは、そうしたい。 *** |
2014年1月31日 | 文化堂 |
私がCDをいろいろ買い始めたのは1996年ごろ。そのころよく出向いていたのが山野楽器・HMV・ヴァージンメガストア・タワーレコード、それから文化堂だった。前者4店は全国(世界)展開の店舗だが、次々と撤収して閉店し、タワーレコードだけが場所を変えて営業している。文化堂は地元のレコード屋さんで、同じ経営の楽器店がいまも営業されているが、レコード店は閉じられた。 文化堂さんは、私が通い出した時期にはテナントビル地下1階に入居していたあまり広くないお店で、主にジャズとクラシック音楽を扱っておられた。福岡の地元店としてはめずらしく輸入盤を扱っておられた。山野やHMVも輸入盤の品数が多かったが、文化堂さんはまたセレクトが異なり、中古もしばしば入荷していて、なかなか魅力的なお店だった。若い店員さんもいらっしゃったが、ときどき御年配の男性と女性の方がレジにおられた。店主さん御夫婦だと知ったのはしばらく経ってからではなかったかと思う。 このお店で、私はエミール・ギレリスの弾くグリーグの抒情小曲集選集CDを購入した。この録音は私はLPで持っていてそれを聴いていたのだが、あるとき盤面を針が引っ掻いてしまい、「ゆりかごの歌」が音飛びするようになってしまった。LPをCDで再発売するということをまだよく知らなかった当時の私は、このCDを見つけて、ああこういうものがあるんだと驚き、喜んで、ほどなく購入した。そのあと同CDは各店舗に置かれるようになった。文化堂さんの商品オファーが早かったのだと思う。中古でエドワード・マクダウェルのピアノ曲CDを見つけたのも文化堂さんの店頭でだった。 文化堂さんは1998年の春、お店を閉じられることになった。そのことを店頭で知って残念でならなかった。閉店の日の前日にタチアナ・ニコラーエワのバッハ平均律をこれが最後と思って購入した。そのときに、店内にスヴェンセンのロマンスが流れ始めた。スヴェンセンの作品をBGMで聞くことなどこれまでなかったのでレジで尋ねると、最近出たギル・シャハムのCDだとのこと。店主の奥様が「ありがとうございました」と深々とおじぎをされた。帰り道ずっとスヴェンセンのロマンスの切々としたメロディーと演奏が心を離れず、閉店当日もお店を訪ねた。 お店はお客さんでいっぱいだった。閉店時間が近づき、店主さんが御挨拶をなさるとのことで、お客さんには飲み物がふるまわれ、ほとんどの方がそのまま待っていた。そこへ地元オーケストラの団員さんがお二方来られて、店主さんに演奏をお贈りしたいと、アコーディオンとコントラバスを演奏された。アコーディオンは伴奏のために急いで借りてきたらしく演奏がたどたどしかったが、音楽を贈りたいという気持ちが伝わってきた。店主さん御夫妻に花束が贈られ、御主人がおだやかに挨拶をなさった。シャハムのCDと、気に掛かっていた日本歌曲のCDを購入した。レジで店員のみなさんと少しだけ話をし、御主人に「ありがとうございました」と挨拶をして、お店を出た。お客さんが見守る中、お店にシャッターが降ろされた。 その日の写真を撮ったので、お店のシャッターに手紙と一緒に挟んでおいたところ、後日お返事をいただいた。今後も福岡の音楽文化に関わっていきたいというお話が書かれてあったように覚えている。お店に出入りしているだけではわからなかったけれど、福岡の音楽関係者の人たちと長らく深い交流をお持ちだったご様子を拝察した。その後も年賀状を出したりしてときどきお手紙を交わした。俳句の世界でも著名な方だということを、だいぶ後になって自分が句を詠むようになってから知った。 数日前、新聞に訃報が載った。大山安太郎さん。肩書きは俳人と書かれてあった。私にとってはなにより文化堂の御主人であられた。すてきな音楽との出会いを用意してくださり、ほんとうにありがとうございました。 私が好きな句のうち、ちょうどいまの季節の句を一句引いて偲びたいと思います。 象の足の大きな一歩春隣り 安太郎 *** |
2014年1月23日 | オカリナ音楽、ほか |
*** 「オカリナ・ノート」というのを書き始めた(こちら)。オカリナをめぐって思ったことなど、メモがわりに書いて載せておこうと思う。 そのはなからだけれど、オカリナを練習していて、自分はやはりオカリナで何か曲を吹きたいわけじゃないのか…と、あらためて思った。ロングトーンやタンギングや運指の練習のほかに何曲か練習していて、そのなかには有名な曲もある。公園で練習するときにそうした曲も吹いている。しかし、そうした曲を吹きたくてオカリナを吹いているのか…と考えると、そういうわけではないような気がする。 少し前にこの自由帳で、自分はオカリナを吹くというより手元に置いていたり手に持っていたりするのが好きなのかも…と書いた。いまは吹いて楽しんでいるが、「曲」を吹かなくても、ロングトーンを出したりぶつぶつぽこぽこと音を適当に鳴らしているだけでけっこう満足している。そうやって音を鳴らしているとしあわせに感じる。 自分は「曲」をオカリナで吹くのが以前からあまり得意でない。吹いて録音して聴くと落胆がある。オカリナマイブームが再来して、いまは「曲」をいくつか吹けるようになろうと練習しているが、積極的にオカリナでこの曲を吹きたい、このように吹きたいという気持ちがあまり強くない。 ピアノだと、たとえばグリーグの作品群にずっと取り組んでいて、それがいくらかでも弾けるようになるとうれしく感じる。ほか弾きたいと思う曲もいろいろある。だがオカリナで、それに相当する感覚が正直なところあまりない。もともとオカリナのための作品というものが少なく、あっても楽譜が出ていないなど事実上特定のアーティスト専用の作品が多くて、まねして吹いてもそのアーティストのおこぼれをもらっている感じでつまらない。それ以前に、なぜかそうした作品群にあまり興味が湧かない。聴くぶんにはしあわせなのだけれど、自分で吹きたいとあまり思わない。 私はピアノが好きというよりはピアノ音楽が好きなのだろう。既存のピアノ音楽作品どれもが好きなのではないけれど、とても好きな作品があり、ピアノのための作品をいろいろあさるとすてきな曲が見つかり、自分で曲を作るのも好きだ。そうしたものを弾きたいと思い、人前で演奏したいとも思う。しかしオカリナの場合、それに相当するような「オカリナ音楽」というものを私はよく知らない。これまでときどき聴いてきたものがそれに当たるものだとすると、私はそういう「オカリナ音楽」が好きなわけでは特にない。にもかかわらず私はオカリナを手元に置いて手に持って吹いている。私は「オカリナ音楽」が好きというよりは、オカリナがただ好きなのかもしれない。 いま吹いている曲のなかには、これは吹いていきたいと思っているものがいくつかある。それにはまた理由があって、そうした曲のことはいつかオカリナ・ノートあたりに書こうと思う。 やはり少し前に、オカリナを山や川で吹いていると書いた。そういうとき、既存の曲を吹くこともあるが(そういうときにはグリーグの「農夫の歌」を吹くことが多い)、むしろ即興で、その場の感じを音にして吹くことが多い。そうしているとその場に自分がたしかにいる感じがして、その場とより親しくなれる気がする。ここであのときオカリナを吹いた、というのを後に再訪して思い返すこともある(滋賀の瀬田川の土手とか)。今年の正月は、山歩きの道中で集落の小さな神社にお参りし、そこで奉納がわりに即興で小さなフレーズを吹いたり、山中の大きな樹々のそばで吹いたりもした。 この曲を演奏したい、誰かに聞いてほしい、というより、私はオカリナをただ吹いていたかったり、景色の中でオカリナを吹いてみたかったり、何かと「対話」(という言葉がいいかどうか全然わからないが)するためにオカリナを吹いてみたかったりするのだろう。基本的とされるあれこれの技術やいろいろな曲を練習しつつ、自分はできれば、「オカリナ音楽」と呼べるかどうかわからないそうしたことを、ゆっくり楽しんでいけたらと思う。 *** ピアノでは先日、施設のロビーで、昨年の秋いろいろ音楽を聴いているなかで聞き知った現代曲を、3曲ほど弾いてきた。現代曲と言ってもあまり難しくない短い曲で、楽譜も採譜したり写譜したりしたものを使った。 今年のピアノリレーマラソンでは現代曲か自作曲を弾きたいと考えている(グリーグは春のイベントのほうで弾くので)。出られるかどうかまだまったくわからない。こうした一般参加ピアノイベントで現代曲や自作の曲を弾く人はほとんどいないので(少なくともここ福岡では)、そういう楽しみ方をする人もいたほうがいいと思っている。 春のイベントのほうの演目、グリーグ「春に寄す」は少しずつ慣らしている。まだ、どう弾くことができるか手探りしたり、どう弾きたいか自分の気持ちに尋ねたりして、考え考えしながら弾いている。 福岡も雪が積もった。すぐに融けた。きっと福岡の「冬」は日本の多くの地域の方々からしてみたら「短い」のだろう。それでもこの冬を耐える人たち生き物たちがいる。春の来るよろこびがある。年を経るごとにそれが切にわかってきた。ノルウェーの「春」とは違うのであっても、この来る春を想って、弾いていこうと思う。 *** 少しのあいだ更新ペースが落ちると思います。 どうぞ風邪などお気を付けください。 *** |
2014年1月10日 | 迎 春 |
迎 春 本年の御多幸を心よりお祈り申し上げます *** 自由帳の書き方を少し変えてみることに。書きたいことを書きたいように書くのに敬体を使うのは何か違うような気がしてきたので…。しばらくは常体でふつうなことを書き連ねていきたい。 御挨拶などの言葉はこれまでどおりに書きます。 *** 新年に新しくオカリナを買った。陶器オカリナを買ったのはたぶん10年ぶりぐらい。いわゆるメーカー製ではなく個人工房の制作になるもので、最近インターネットでたまたま知った銘柄。調べているうちに工房が福岡にあるらしいと知り、親近感を感じてさらにいろいろ調べて、購入に至った。 独特の個性があるオカリナで、最初は吹いていてとまどったけれど、直に慣れてきた。慣れてくるといろいろな曲をいろいろな感じで吹けそうで、いまは試行錯誤を含めて楽しんでいる。昨年使ってきたおもちゃオカリナ(その後少し手を加えて鳴りやすくした)も引き続き使っている。今年は息を安定させていい音が奏でられるようにしたい。 *** 毎年、出場したり客席で楽しんだりしているピアノリレーマラソンとは別の、近くの自治体で行われる一般参加ピアノイベントに出場を申し込んだ。3月上旬の開催。 申し込みにあたって何を弾くか決めようと何曲か続けて弾いてみたものの、いまひとつ決まらず、あまり人前で弾こうとは思っていなかったグリーグの「春に寄す」を弾いてみたら、気持ちが高まってきた。やっぱり春の喜びの曲を弾きたいと思う。それで「春を寄す」に即決。さいわい申し込みも間に合い、出場できることになった。 練習方針をまだきちんと決めていないけれど(弾けるだろうか…)、あまり気負わずに当日ステージに立てたらと思う。初参加のイベントで勝手がわからず不安になるかもしれないが、このところ公園でオカリナ練習したりしていたせいか、慣れない場所で演奏することが、その不安もあわせて、何かしあわせなことであるように感じる。 「春に寄す」には、春を迎えた喜びを歌うメロディーのそばに、その春を迎えることができなかったさまざまのいのちが、うまく言えないけれど「光の影」のように寄り添っていて、いっしょに歌っている。メロディーを歌っているその人は「光の影」の歌に全身包まれて、春の歌を歌い上げている。そんなことを感じるようになった。私もそのように「春に寄す」を歌うことができたらと願う。 当日を無事に迎えることができますように。 *** トップページも作り替えました。グリーグ関連のブックマークページはリンクも古くなり、最近は自分でもあまり使っていなかったので、閉じることにしました。かわりに、テーマ毎に書いたものをトップからたどれるようにします。新しいテーマも立てて書いてみたいと思っています。 今年もよろしくお願い申し上げます。 *** |