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オカリナ・ノート 2014.2.25 オカリナで吹いている曲(1)西浦の子守唄


 オカリナで吹いている曲のことを少しずつ書いていこうと思う。世間で有名な曲もいくつか吹いているけれど、どちらかというとあまり知られていない曲や、知られているかどうかはともかく少し書いておきたい曲のことを書いてみたい。
 
 いま、「西浦の子守唄」という唄を吹いている。
 オカリナを再開したとき、吹きたいなと思ったのが、以前知った福岡の民謡だった。福岡の民謡というと黒田節や炭坑節や博多の諸々のお座敷唄が有名かと思うが、そうしたすでに有名な唄のほか、あまり広くは知られていない、その土地その土地の唄がある。
 「西浦の子守唄」は、福岡市西区の海沿いにある西浦という所で収録された子守唄で、いまのところたぶん1冊の本といくつかの小冊子にしか載っていない。その本は、福岡市西部・糸島半島の各所で地元に伝わる唄や地元の方々が知っている唄を集めてきた廣瀬正榮さんという方の手になるもので(注1)、廣瀬さんはお仲間とともにテープレコーダーを持って各所を訪ね、古い唄を知っている方を探しては唄っていただいて収録し、採譜して保存し唄い継ぐ活動をなさっておられた。その廣瀬さんの講演を10数年前に一度拝聴したのだけれど、私はそのときのお話が(まちがえて理解しているのかもしれないけれど)とても印象深かった。
 というのは、廣瀬さんはそうした活動をされていながら、こうして唄を残していくことにどういう意義があるだろうかと時々自問されるのだった。廣瀬さんとお仲間の方々は郷土の唄を残して唄っていくことで「地域づくり」につなげたいという主旨で取り組んでおられるのだが、古い唄の多くは古い地域行事や生活習慣や時代背景の中で唄われてきたもので、そうしたものが変わってしまったいまでは、それらの唄は当時のようには唄われる必然性がない。
 たとえば子守唄の中には、奉公先で子守をしているときに同じく奉公に来ている他のこどもたちから聞いて覚えた、という唄がしばしばあるのだが、そうした唄が唄われる状況がなくなった現代では、その唄は当時のように唄い継がれることはない。その子守唄をたとえば地域行事でコーラスで歌うことはできるけれども、そうした「唄い継ぎ」はもともとのその唄の唄われ方とは別のものになっている。そうやってその唄をなお唄うことには意味があるのだろうか、という疑問がある、とのことだった(私の誤解があったら申し訳ありません)。それでも廣瀬さんのおっしゃるには、土地に伝わる古い唄はその土地に住む人たちにとって大事なものであるはずだ、大事にしていきたい、ということであった。そうした唄を歌える人が少なくなっていく、その時の流れの中で、唄をなんとか残していきたい、というお気持ちがあふれるお話だった。
 その講演の中で、唄を収録した録音をどう残すか・どう分けることができるかという問題があるとのお話をうかがった。テープに収録したものをダビングすると音質が悪くなる。マスターテープから何度も何度もダビングするとテープが痛んでしまう。実際に困っておられる御様子で、私も何かお役に立てたら…と思っていたところだったので、講演の後で私のほうから、CDを作ってはどうでしょうかと提案をさせていただいた。当時CDはまだ家庭でパソコンで「焼く」ということが一般的ではなく、業者に頼まなければ難しかったが、そういうことができるというのは知っていたので、ひとつの案としてお話をした。廣瀬さんはその案を検討してくださって、その後、御自分が収録された唄をテープからCDに複製してもらうことにしたとお手紙をいただいた。その際に、廣瀬さんらの編集された冊子と複製テープを頂戴した。「西浦の子守唄」はその冊子に載っていた唄のひとつである。
 
 「西浦の子守唄」は(以下、廣瀬さんの記事によると。資料1、pp.9-10)、西浦にお住まいの80代の女性の方(ここで御名前を広めてよいのかどうかわからないので大変失礼ながら伏せておきます)が唄ってくださった唄で、その方は12歳のときに子守に出られ、その頃にあちこちで唄われていたものの記憶だとのこと。御本人は「博多の子守唄」ではとおっしゃられたとのことだが、廣瀬さんはいま広く知られている「博多子守唄」とは異なるようだと解説を付けておられる。地域の子守さんたちに唄われて歌詞に西浦地域の匂いがしみ込んでいること、その方が永い歳月を越えてこの唄を覚えておられたことから、「西浦の子守唄」として載せることにした、とのことである。
 詞の一部を引用したい。
 
 ねんねしなされ まだ夜は明けぬ
 明けりゃ ご殿の鐘が鳴る ヨイヨー
 
 ねんねした子の 可愛さ見なれ
 起きて泣く子の こざにくさ ヨイヨー
 
 雨の降る日と 日の暮れがたは
 家の恋しさ 帰りたさ ヨイヨー
 
 このあたりの詞は、博多やこの筑紫地方に伝わるほかの子守唄に広く通じるものがある。私がいま気に留めているのは次の詞。
 
 二月十六日に 空吹く風は
 あれは母さんの お迎え風 ヨイヨー
 
 あれが母さんの 迎え風ならば
 尻に帆かけて とんで行く ヨイヨー
 
 頂戴した別の冊子(資料2、p.11)に、西浦と海を挟んだ向かいの玄界島に伝わる子守唄が収載されている。その歌詞は「二月二日に吹いてくる風は 親がやらしゃった迎い風 よいよい」(原詞記載はひらがな、漢字は私が当てたものです)となっていて、西浦の子守唄と同様の詞になっている。
 旧暦の二月、いまの暦の3月だと、福岡では西〜北西の風が吹く。もし西浦や玄界島から子守奉公に博多に出るとすると、西浦や玄界島は博多から見て、その風が吹いてくる方向にほぼあたる。西から博多にやってきた奉公のこどもたちにとって、その風は、家のほうから吹いてくる風だったことだろう。
 私はこの時期にそういう季節風が吹くということを、俳句の季語である「涅槃西風(ねはんにし)」という言葉で知った。高浜虚子編の『新歳時記』(増補版)を引くと、「陰暦二月十五日、涅槃會の頃に吹く西風をいふ」とのこと(資料4、p.116)。西は西方浄土の方角でもある。その西から吹いてくる「迎え風」は、現世の風ではないのかもしれない。子守唄を唄うこどもたちはそのように感じたりしたかどうかわからないけれど、この唄にはなにか、現世ではないところから親しく呼ばれているような遥かなものが底に流れている感じが私にはしている。
 
 この唄のことを載せたいと思って廣瀬さんのお宅に連絡をとった。廣瀬さんはお亡くなりになっていた。収集した唄の大部分を集成した本を作られ、それを図書館に寄贈して、これで一仕事終わったとおっしゃられ、お孫さん方に、図書館に行けばおじいちゃんに会えるからと伝えて、亡くなられたと、奥様からお話をうかがった。
 いま福岡市総合図書館の郷土資料室の中の、特に貴重な資料が展示される陳列棚に、冊子とテープとCDのセットが展示されている。廣瀬さんがまとめられたものである。「西浦の子守唄」をここで聴くことができる。
 私は福岡市に住んでいるが西部ではなく、この唄が自分の「地元の唄」かと考えるとちょっとわからない。廣瀬さんのお話をうかがった後、自分でも自分が住んでいるあたりの唄を訪ね歩きたいと思ったけれど、当時は自分のことでせいいっぱいで、自分の足で歩くことも廣瀬さんのお役に立てるようなこともできなかった。あまりにも遅すぎるけれども、そしてこんなふうに書いたりオカリナで吹いたりすることがこの唄や廣瀬さんや唄ってくださった方の思いに添うことなのかどうかまったくわからないけれど、廣瀬さんのお手紙にあった「西区にあった唄とは言え、福岡市にあった唄、外国の人たちから見れば日本の唄とも言えるものなので、どこでどなたが唄われても良いのでしょう」というお言葉に甘えて、私がいま心から唄える仕方で、「唄って」みたいと思っている。
 

西浦の子守唄 譜面 写真 西浦の子守唄 譜面(出典:資料3、p.36 採譜:早川裕子)(注2)
 
注:
1)廣瀬さんの御名前表記は資料によっては「広瀬正栄」となっていますが、ここでは頂戴したお手紙と御本(資料3)の表記によることにしました。データベース検索等の場合に旧字・新字での検索が必要になる場合があるかもしれません。
2)楽譜にはテンポの表記がないが、私が頂戴した複製テープで聴くと、おおよそ四分音符=66ほどのテンポ。
 
資料:
1)郷土の古い唄を甦らせる会(発行) 郷土の古い唄・第1集 非売品 平成10年
2)郷土の古い唄を甦らせる会(発行) 郷土の古い唄 非売品 平成11年
3)廣瀬正榮(編著) 畦道を辿りたずね歩いた伝承の唄 櫂歌書房 平成16年
4)虚子(編) 新歳時記 増補版 三省堂 昭和26年
 
追加 2014年8月6日 「西浦の子守唄」を「オカリナの音色を『見る』」のTオカリナで吹いたものを載せておきます。
 
 
 
「オカリナの音色を『見る』」で書いている「空気を入れる」「風を吹き込む」それぞれの吹き方で吹いてみましたが、技量未熟のためあまり特色が出せていません。
 

 

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