遠い遠い夢の世界... 自由帳 2013年 |
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2013年12月31日 | ここにきて |
…少しカウンタが上がっているようなのですが、どうも瀧廉太郎「憾」を取り上げた番組の再放送がどこかで流れた様子です。トップページまで訪ねていただき恐縮です。ありがとうございます。 今年は個人的には難しいことが多くありました。どうにかやってきましたが、そのやってこられたことのなかには「音楽の力」がたしかにあったと感じています。といいますか、音楽を聴き奏でることで自分が支えられているのをひしと感じたのは正直ひさしぶりのことでした。 来年がどのような年になるかわかりませんが、いま手に握っている音楽を手放さずに歩いていきたいと思っています。 この自由帳、最近は自分の近況を書くことが多くて、ですます調ばかりで書いていましたが、新年からはちょっと変えるかもしれません。年明けて少し更新を休み、しばらくしてから再開したいと思っています。またのぞいていただけましたら幸いです。 どうぞ佳い年を。 *** |
2013年12月30日 | 年の瀬にオカリナ |
おかげさまで少し時間ができました。最近はオカリナを多く練習しています。秋頃は吹く余裕がなく手元に置いておくだけでしたが、いまはロングトーンやタンギングの練習のほか、昔の歌謡曲や民謡などいくつかの曲を練習しています。細かな息遣いや指遣いなどたくさんのことを丁寧に考え直して取り組む必要を感じています。 オカリナは私はこどもの頃から吹いています(吹くだけは)。学習雑誌の付録にプラスチック製のオカリナがついてきて、「自分の楽器」が持てたことがうれしくて、大事にしてきました。ピアノも習っていましたし学校ではハーモニカやリコーダー(当時は単に「ふえ」と言っていたような気がします)を吹いていましたが、オカリナは当時の私にはもっと近しい楽器でした。その後、関心が薄まった時期もありましたが、人生の節目的なときに陶器のオカリナを購入したり、商店街で楽器遊びをする際にプラスチックオカリナを入手したりして、何度かマイブームを再発しながら現在に至っています。 実はいまメインに練習しているオカリナは、むかし家族が旅行先の土産物屋さんで買って帰ってきたおもちゃオカリナです。高音が出にくく、もらった当時ああなるほど…と思って、そのまま保管していました。そのキーのオカリナではオカリナメーカー製のオカリナをこれまで主に吹いていて、それはたしかに「いい」のですが、ちょっと音が大きすぎて、最近は吹いていてつらさを感じていました。オカリナには個々の楽器ごとに個性があるので、手持ちのものをひととおり吹いて「個性」をたしかめてみようと、先日ひさしぶりにそのおもちゃオカリナを手に取り、吹いてみました。たしかに高音が出にくいのですが、音が優しく、息遣いが音によく反映されることに気付きました。これは本気で吹こうと思い、いまはそのおもちゃオカリナでさかんに練習しています。 たいへん小さなオカリナも持っており、以前から旅先で誰もいないところでちょっと吹いてみたりしていましたが、最近は、山や川に出かけていくときにオカリナを持っていき、景色の中で即興で吹いたりしています。広い公園で「野外演習」したりもして、外で(迷惑にならない程度に)楽器を演奏する楽しさを味わっています。 別のところにちょっと書いたことがありますが、私はいろいろと価格が比較的安めの楽器(楽器とおもちゃの領域とが重なっているあたりの楽器)が好きです。買い込んだりはしていませんが、鍵盤ハーモニカ、ラップハープ(膝置きハープ)やグロッケンシュピールなども持っています。こどもの頃にオカリナに感じた「自分の楽器」的な感覚、自分に近しい楽器かどうかという感覚が、いまも心のどこかにあるみたいです。そうした楽器の「よさ」をおりおり再確認、再発見しながら、天高くにあるものではない、天高くを目指すのではない、地上から空を仰ぎながら地を這って伝わっていくような「音楽」を続けていくのが、自分の音楽人生なのかもと思っています。 再来したオカリナのマイブーム、しばらく続けられそうです。楽しめるときにしっかり楽しみたいと思います。 明日31日も何か書きたいと思っていますが、時間が取れないかもしれません。どうぞよい年をお迎えください。 *** |
2013年12月15日 | 流れ星 |
聴くほうも弾くほうもひとまわりして最近はグリーグ作品に帰ってきています。聴くほうはアルド・チッコリーニの抒情小曲集録音(2004年の全集録音のほう)が中心です。だんだんと演奏の「よさ」が沁みてくるようになりました。弾くほうは、19のノルウェー民謡op.66を再度ていねいに見直しています。また、オカリナをときどき吹いています。 5月に、親戚からピアノを弾いてほしいと頼まれたことを書きました。数曲を練習し、親戚は遠くにいるので夏にテープに録音して送りました。枕元で再生していただいたようでしたが、そのときにはもう意識があまりはっきりしていなかったようです。先ごろ亡くなったと連絡をいただきました。 私はいつもいろいろなことが遅すぎるのですが、私のピアノを楽しみにしてくださっている方のためにピアノを弾く、ということができるのが、どれだけしあわせなことだったかと思います。自分の下手さを言い訳に自分はいったい何の遠回りをしていたのだろうと思われてなりません。 ふたご座流星群を見ました。昨夜もその前も雲がとても多くて、ほぼあきらめていましたが、昨夜、雲の合間にさっと走る流れ星を見ることができました。 このごろは、例年定期的に見ることができる流星群のときに時間を決めて何個見えるか…という見方で見ていましたが、昨夜は流れ星の一瞬の美しさをあらためて感じました。 「人生は短く、音楽は長し」と言われますが、音楽も奏でられているその時をあとから振り返ればほんの短いもののようでもあります。誰かの音楽がほかの誰かのところに届くのは、それぞれの一瞬同士が重なりあうようなものかもしれないですし、そのわずかな一瞬のなかで、届くこと、届いていくことを待つのでもあるだろうと思います。 届いたことを願うばかりです。 *** |
2013年11月28日 | いろいろと聴いていますが |
いろいろと聴いていますが、何かまとまったことは書けそうにない感じです…。ちなみに今日聴いたのはフィリップ・アーバーグのHigh Plains、マーガレット・レン・タンのトイピアノ演奏などです。最近はバッハの楽譜を読んだり(ウェブで読める自筆譜があって、それを出版譜と見比べたり)、むかし作った曲の手直し・仕上げをしたりもしています。ここ数年ほど音楽にゆっくり浸っていられなかったので、ちょっと反動が来ているのかもなどと思っています。 *** |
2013年11月15日 | ちょっと休んでいます |
ときどき聴いたり弾いたりしてはいるのですが、文章を書く気力がどこかに行ってしまっています。文章を書くかわりに、別のところに載せた自分の作品画像へリンクを張っておきます。今年の春先にちらっと、断章的な曲を作るのが好きだと書きましたが、また「うた」とは別の音楽と言葉との関係がありうるのではないか…といったことも書いた覚えがありますが、まわりまわってこういう形になりました。感覚の体操みたいなつもりで気構えずに作っています。画質が粗いのはお許しください。 ちいさな秋 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 いま聴いている音楽のことなど、ちょっと間をおいて、また書きたいと思います。 ※ 11月22日 リンクを3つ追加しました。11月28日 リンクを1つ追加しました。今季の「ちいさな秋」はこれで終わるつもりです。 *** |
2013年10月14日 | 過去の自由帳 |
2011年から12年までの「自由帳」を切り離してむかしの「自由帳」のページから見られるようにしました。自由帳は2002年から休み休み書いていますがいちおうほとんど全部再録しています。 別のところで自分の作ったものをちょっとだけ載せてみていますが、いずれこちらかどこかに移そうと思います。 *** |
2013年10月11日 | 余波を受けて2 |
「憾」を取り上げたテレビ番組の放送から日が経ちました。一時期(私のページにしては)多くのアクセスをいただいていましたが、今週に入ってカウンタが落ち着いたようです。 この機会に瀧廉太郎の生涯と作品紹介などできるとよかったのでしょうけれど、私は「憾」や「メヌエット」の楽譜を中心に考えてきたので、そういう方面にはちょっと手が出せません。かわりに、「憾」をめぐるいくつかの「謎」を少し整理してみたいと思います。 「憾」という曲とそのタイトルが瀧の当時の境遇と心情から来ているというのはこれまでふつうに言われてきたことですので、その線での「謎」は逆に言えばこれまでは特になかったと思います。 私が主に取り上げているのは、出版されている「憾」の楽譜と自筆譜とが、日付が同じなのに内容が違うという「謎」で(ちょっとこれでは説明不足ですがくわしくは記事ページに任せるとして)、私はこれは曲の姿が違ってくるのでけっこう重大な「謎」だと思っています。 もう1つポピュラーな「謎」として、自筆譜の1つに「ドクタードクター」と読める書き込みがあるという「謎」があります。これは私も最近書き込みを見ることができたので少しだけ取り上げて考えてみています。 そのほか、次のような「謎」があるように思います: ・「憾」は瀧の絶筆なのか … しばしば「絶筆」と紹介されるのですが、瀧が作った曲の自筆譜が瀧のお母さんによって処分された可能性があり、ひょっとしたら「憾」が最後の作品ではなかったかもしれない、ということです。 ・(上の問題と関連して)瀧の晩年の作品でまだ残っているものがあるのではないか … ということが考えられます。個人的にはとても興味があります。そうした作品が見つかれば「憾」の位置付けも変わってくることになるかもしれません。 ・「憾」は完成されたのか … いま内容が知られている「憾」自筆譜にはサインがなく、この作品は未完成だと論じている方もおられます。 ・「憾」の自筆譜はどこにあるのか、いまもあるのか … 他の自筆譜の所蔵先は資料集に明らかにされていますが、「憾」の自筆譜に関しては所蔵先がよくわかりません。なぜこの曲だけがそのような状況にあるのかもつかめません。 そして、そういったことを含めて、あるいは含めずに、「憾」をどう弾くか、どう聴くか、ということが問われるわけですが、これは「憾」にはかぎらない話ではあります。ただ、「憾」のようなクラシック音楽としてはごく小さな部類に入る作品が多くの人の関心をひき、心を打ち、その中から決して少なくない数の人々が熱心にこの曲に関わっていく、そうしたこの作品の独特の「魅力」も、この作品の「謎」と言えば「謎」かもしれません。 それから、一時期「憾」の一部ページにアクセス解析を置いていましたが(いまは外しました)、「憾」ページに検索から来られた方のキーワードに「楽譜」がかなりありました。おそらく無料楽譜を探しておられた方が多いのではと思います(「憾」はweb上の無料楽譜はないようです)。私のサイトには部分譜例はありますが全曲は載せていません。現行の出版譜は安いので、買われた方も多かったのではと思います。「憾」「メヌエット」は自筆譜をもとにした、もしくは自筆譜を参考にして現行譜を校訂した新版が待たれるところですが、そういう方向の気運がこうしたきっかけで高まることを少し期待しています。 瀧廉太郎没後110年ということで、劇も上演されるようですね。この連休、場所は弘前だそうです。新聞記事にリンクを張っておきます。近くだったら見に行きたかったです。 弘大劇研が10月に滝廉太郎没後110年記念で公演 by 陸奥新報 この次は瀧さんからまたちょっと離れて別のことを書こうと思っています。 *** |
2013年10月3日 | 余波を受けて |
この1週間で、自分のサイトとしては異例なカウンタの上がり方をしています…。やっぱり「憾」で検索している方が多いのでしょうか。私のところでは瀧廉太郎の生涯や「憾」の全般的なことはあまり取り上げていないので、お役に立てなさそうな気がしています。 私も(10年前に少し書きましたが)「憾」にはただならない感情があふれていると感じます。ただ、いま考えると、それはたぶんこの前(9月28日付)書いたようなことをめぐってというのが強いのではと思いますし、私自身は同時にちょっと突き放した見方も持っていて、いまはあまりエピソードに飲み込まれてしまわずにこの曲を聴いたり弾いたりするのを好んでいます。この作品から音楽としてあふれ出てくるものそのものを追っている感じです。「憾」の作品成立過程はまだよくわからないことが多く(現行の楽譜がどのように出来上がったのかも定説がないわけですし…)、それを調べている1人としては、思うことはあっても、なるべくコツコツと理解を積み上げていきたいと思っています。 ちなみに、「知ってるつもり?!」の画面を再度見させてもらいましたが、ドクター書き込みがある明治35年10月の自筆譜には、やっぱり題名が書かれていないように画面上では見えます。瀧の自筆譜には、草稿段階の鉛筆書きのものを除けば、なにか題が書かれていることがほとんどです。この明治35年10月の楽譜(ペンで書かれているようです)に題を書き込んでいないのは、たとえば瀧がまだ題を決めかねていたなどの理由があるのかもしれません。 そうですね…ここに書いてどれだけ読んでいただけるかわかりませんが、瀧の亡くなった後に彼の書いた作品がどうなったかについての「証言」があるので引用しておきます。瀧廉太郎の妹の安部トミさんの言葉です: 「兄は胸が悪かったものでございますから、亡くなりました時、母が作曲したものを乞われるまゝに人にあげたり、大部焼いたらしうございます。それも私が庭で母がこちらへ歩いて来て居ります時、向うで何か燃えて居りましたので、そう想像するだけでございますけど、兄がこのように皆様方に惜しまれるとも思われず、兄もそう思わずに亡くなりましたものですから、母を恨むわけにもまいりません」(小長久子(著) 滝廉太郎 吉川弘文館 1987年 pp.258-259) それから、瀧の晩年の様子を伝える手記を2つ載せておきます。瀧は亡くなる前の年、明治35年の11月末に東京から大分の親元へ転地します。その大分で瀧を迎えた、上の安部トミさんと、 廉太郎の従妹の牧タキさんの言葉です。当時まだ幼かった方々から見た廉太郎の姿です: 「…(さんちろく補足:廉太郎が)東京から病気養生のため、大分に下つたのは明治三十五年の暮れであつたと思う。間もなくお正月を迎へた事を記憶している。(…)床についているでもなし、陽当たりのよい座敷で、鉛筆で拍子を取りながら、楽しそうに作曲をつづけていた、姿が眼にうかぶ(…)当時大分にはまだ一台のピアノもなく、竹町に(…)唯だ一台のオルガンがあつた。それを借りて座敷にすえ、夕飯後そのまわりに皆集つて、兄の弾く曲に耳をかたむけるのを、何よりの楽しみにして居た。(…)弟と私に、「さあ、どちらが上手か唱つて御覧ン」といい乍ら、君が代等伴奏をしてくれた。あの頃のことは、はかない夢のようで、晩春の頃だつたかと思うが、現在の大分市金池校で、先生方や父兄の方々に望まれて、自分の作曲その他をおきかせした事もあつた。そんな時は必ず人力車の往復であつた。…」(安部トミ 兄を偲ぶ 北村清士(著) 滝廉太郎を偲ぶ 1963年 p.89 段落分けを省略しました) 「…私の家とはつい近所であり、またいとこの事でもありますから、朝夕往復して、美味しいものが出来ると行きますし、又「オルガンを聞かせて上げよう、お出で」と呼びに来ることもございました。通りが近いので、オルガンの音がすると近所の、子供だちがヘイの横にズラリと列んで、きいているのを見たこともございました。何の曲であつたか、今は記憶にありませんけれども、上手であつたなァといふことだけは覚えています。…」(牧タキ 滝廉太郎の想ひ出 同上書 p.87) 瀧の晩年が悲愴に語られているのを見聞きするとき、私はこの証言されている瀧の様子をいつも思い浮かべます。私の「憾」記事のページ1に書いたように、私は「憾」が瀧の最後の作品だとは必ずしも考えていないのですが、それはひとつはこの様子を思い浮かべてのことです。私が考えた「継承説」が正しければ、いま知られている「憾」(の、おおもとの形)は明治36年2月に完成したということになります。瀧はその年の6月に亡くなりますが、6月に入るまでは具合がそう悪くなかったようなので(これも上のお二方の手記にあります)、「憾」を仕上げた後も瀧はたぶん、オルガンを弾いてはこどもたちに聞かせたことでしょう。むしろ瀧は「憾」に、自分のさまざまに渦巻く思いを封じ込めて、その先を生きていこうとしたのではないだろうかとも思います。 何の確証もないことを1つだけ書くと、私は、瀧は大分できっとオルガンの曲を、あるいはオルガン伴奏の歌、こどものための歌か讃美歌のようなものを作っていただろうと思っています。瀧の「最後の作品」は、きっとそうしたものだったと信じています。 シェルルフのことを書きたいなと思っていたのですが、余波を受けて、書けそうなことをちょっと書いておきました。いろんな機会を通じて、瀧の作品がいいかたちで知られるようになるといいなと思っています。 ※ 10月4日未明にかけて何度か書き直しました。 *** |
2013年10月1日 | 「憾」ページ追加ほか |
「憾」ページ7を追加しました。急いだので、あまり凝ったことは書いていません。それから、「憾」という題についても書いたほうがいいのかなと思ったのですが、ほかの方々のサイトやページでたくさん書かれているので、私はほかのことを書いていこうと思います。 9月はなるべくピアノを弾くようにしていました。グリーグの「夏の夕べ」はなかなか奥深く、解釈が固まりません。そのぶん日々いろいろと楽しむことができました。今日(昨日)はシェルルフ(グリーグよりひと世代前のノルウェーの作曲家)の曲をつまみ弾きしました。シェルルフの作品は概して穏やかで、曲によってはめだったクライマックスがないこともあるのですが、その穏やかさが今日は幸せに感じられました。 今月からバタバタしそうで、ピアノもあまり弾けなくなりそうです。弾けるときに楽しむ気持ちを忘れずにいられればと思います。 *** |
2013年9月28日 | とりいそぎのひとこと |
瀧廉太郎「憾」のいわゆるドクター書き込みをめぐる覚え書きをいま書いているところですが、webで検索していて、「憾」のことがごく最近テレビ番組で取り上げられたらしいことを知りました…。自分では見ていないのでなんとも書きようがないのですが、webでその番組内容を取り上げている記事の中には、Wikipediaに書かれているドクター書き込みのことに触れているものがあるようで、ちょっとこの件の再燃の気配があるように感じます。 今月中にとお伝えしたのですが、今月後半が予想以上に忙しく、覚え書きはまだ形になっていません。30日までには載せたいと思っていますが仕上げられる自信があまりありません。ドクター書き込みについて「ちょっと考えさせられる」という程度のことですので、あまり期待しないでお待ちいただけたらありがたいです。 「憾」という曲を瀧の人生の諸々とどう結び付けて理解するのがよいのか、いろいろな考え方がありうるだろうと思うのですが(よく言われる「死を前にして」という話はそのうちの1つで、上のテレビ番組ではさらに新説が出てきたような気配なのですが)、私はこの曲の作曲されていた時期と、証言・書簡からうかがわれる瀧の当時の様子から考えて、あえて結び付けるとすれば留学を中途で引き上げざるをえなかったことや大分での病気療養を余儀なくされたことだろうと思っています。「病気」のせいでさまざまなことを断念するほかなくなったそのことが(当時の)瀧には大きかったと想像しています。そして、それが永劫に断たれることになるとは当時の瀧は信じていなかっただろうと私は思います。 そうしたことと「憾」に後世の人が何を感じ何を見い出すかとはまた別のことになるかもしれないですが、もし「憾」を瀧の人生と結びつけて理解する道を取るなら、瀧がどういう状況にあってどう思っていたかをできるかぎり正しく知ることは必要になってくるでしょうし、正しく知りようがない以上は(私だけでなく、たぶん後世の誰もそうだと思うのですが…)その理解は行き届かないままにとどまるほかないと、どこかで思っておく必要もあるだろうなと思います。 そのあたりのことはいつかまとまったことを書けるかどうか全然わかりません。こうしたことは「憾」の印刷譜と自筆譜との継承関係を探るみたいな事実をめぐる話とはちがって、ゆるぎない事実がなにかひとつだけあるようなものではないだろうとも思っています。むしろ「憾」という作品ひとつをめぐっていろいろな説や考えが出てくること自体が、音楽の力なのかもしれないですね。いろいろに考えるための材料やきっかけになれるようなことを書けたらよさそう…ぐらいに思って、スローペースで書き続けてみることにします。 ※ 9月29日少し書き直しました *** |
2013年9月16日 | このごろのこと |
瀧廉太郎の資料を調べに大分市と竹田市に行きました。お金も時間も掛けられない中でばたばたでしたが、いろいろ個人的に興味深いものが見つかったりしました。「憾」「メヌエット」の自筆譜問題については大枠を超えるほどの進展はないですが、いわゆる「ドクター」書き込みに関連してちょっと考えさせられる資料に行き当たりましたので、今月のうちに、簡単にだけ書きたいと思います。 瀧廉太郎関連のページは記事を追加するごとにややこしくなってきたので、話を整理して再構築したいと考えています。全文書き直して読みやすくしたいですが、いつ仕上げられるかわかりません。この次に書くものは「覚え書き」程度にとどめます。 ひとつだけ書いておきますと、大分県の先哲史料館で出している『大分県先哲叢書 瀧廉太郎 資料集』ですが、以前私のページでは在庫切れになっていると書きましたが、刷られていました。現在入手できます。御関心をお持ちの方は、大分県立先哲史料館のページからたどってみてください。 グリーグ「夏の夕べ」はだんだんと音が鳴るようになってきました。福岡でも秋めいてきましたが、もうしばらく弾いてみます。 *** |
2013年9月2日 | このごろのこと |
つかのまですが音楽のことなどに振り向ける時間ができ、グリーグの「夏の夕べ」を練習したりヴァーレンのピアノ曲を聴いたりしました。「夏の夕べ」は私は薬指が弱くてまだ旋律線がきれいに弾けませんが、それも含めて、練習していてひととき幸せになれます。ヴァーレンの作品はときどき思い出したように聴きますが、手元に「間奏曲 Intermezzo op.36」の楽譜(国際楽譜ライブラリープロジェクト IMSLPからプリントアウトしたもの)を置いていて、前回思い出して聴いていたときには楽譜の解読をしながら聴いていました。この曲についてはいつかちょっと書きたいなと思っています。 忙しかったあいだ、ふと、オカリナをまた吹きたいと思ったりしていました。オカリナは私は吹く・聴くというより目の前に置いていたり手に持っていたりするのが好きなのかもしれないのですが、あらためてロングトーンの練習をしてみたいと思っています。 9月4日がグリーグの命日で、たぶん本国では行事が何か行われることと思います。ベルゲンではきっと夏は通り過ぎていった後でしょうけれど、こちらでは(いま降っている雨が上がれば)まだ「夏の夕べ」や「夜想曲」が合う季節感が続いていそうです。 ネットで見かけた情報を載せておきます。今度の9月8日(日)に 新宿で土居千亜紀さんのグリーグ歌曲リサイタルが開かれるそうです。近くなら飛んで行くところですが、遠くなので、心の耳で拝聴したいと思っています。 グリーグ歌曲の午後 Vol.3 A.O.Vinjeの詩への旋律 土居千亜紀 ソプラノリサイタル 書いているあいだ雨音が止んでいたのですが、また聞こえ始めました。この秋、どこも雨がひどくありませんように。 *** |
2013年8月25日 | 8月24日は瀧廉太郎さんの御誕生日でした。 |
…竹田市で生誕祭が行われると聞いていましたが(ほかのいくつかの町でも行われているのではと思います)、諸々あってまったく行くことができない状況でした。CDを聴く時間もとれなさそうです。もうしばらくしてから戻ってきます。 *** |
2013年8月22日 | ピアノリレーマラソン続き |
ピアノリレーマラソン参加記の続きです。聴くほうはこのところあまり長時間続けて座れていなかったのですが、2日目は久しぶりにまとまった時間、といっても3時間に満たないほどですが、連続して聴いてきました。 ピアノリレーマラソンではここ数年ほど、レギュラーで参加されている数名の方に注目しています。今年もいい演奏を聴かせていただきました。 また、この日は高音のタッチがとてもよかった演奏がありました(Yesterday Once Moreの方はほんとうに美しい音でした)。1日目の紡ぎ歌を弾かれた方も実直なタッチとテンポで心地よく聴かせていただきました。いろいろな美点をお持ちの方々の生演奏を近くで聴けるのはありがたい機会だと思いました。 1日目の私の演奏ですが、演奏後にいただいたMDで聴き返すと思っていたように響いていない箇所がありました。ミスも2か所あり、うち1か所は弾き間違いをするような箇所ではなく、ふだんどおりに弾くことの難しさをあらためて思い知りました。 「春」は今年の春にほぼ唯一弾くことができた曲で、今回のピアノリレーでもこの曲を弾く以外にはなかったと思います。そういう意味では今年もステージに登ってピアノを弾くことができてよかったです。この数年、来年がどうなるかまったくわからない状況が続いていますが、来年も何か弾くつもりでいたいと思います。「春」はこの先も大事にあたため続けていくつもりです。 ※ 8月22日書きあらためました。 *** |
2013年8月18日 | ピアノリレーマラソン終了 |
ピアノリレーマラソン、2日目を聴いてきました。久しぶりにまとまった時間聴いたような気がします(2時間半ぐらいでしたが)。1日目のこと含めてふりかえりを書くつもりですが、ちょっと1日2日あいだを置きたいと思っています。すみませんがまたお立ち寄りください。 *** |
2013年8月17日 | ピアノリレーマラソン初日終了 |
ピアノリレーマラソンの第1日目が終わりました。私もなんとか弾いてきました。ふりかえりは明日の部を聴いてから書くことにします(明日の会場入りは後半になると思います)。これまでの回でお目にかかった方々とまたお会いすることができてよかったです。明日も楽しんで聴かせていただきます。 *** |
2013年8月16日 | ピアノリレーマラソン前日 |
「春」、当初、なるべく弦楽合奏に即してアレンジしようとしていましたが、ピアノでは無理なことが多く、そして弾いているうちにこれはけっきょく自分がこの作品をピアノで「解釈」しているのだと思うようになりました。明日はそのひとつの解釈を弾かせていただくことにしました。上手にはなれませんでしたが、弾いてきたそのままに弾けたらとだけ思っています。 「春」の歌詞についてはだいぶ前に少し書いたことがありますが(こちらです)、ヴィニエの原詩を和訳しておられるページがありますのでご紹介します。こうした取り組みはとても貴重で、ありがたいです。 梅丘歌曲会館「詩と音楽」 エドワルド・グリーグ 春(過ぎた春) 暑くなりました。春を生き長らえた木々は少しばかり葉を閉じ加減にして夏を耐えているかのようです。たまに通っていく夜の涼しい風に、やがて来る秋とその先の冬を、そしてその先の春を遠望します。 *** |
2013年8月5日 | 忙しくなってしまい |
…あまり書けなくなってしまいました。ピアノリレー前に少し時間ができると思いますが、しばらく練習もままならないことになりそうです。 舘野泉さん演奏のバッハ=ブラームスのシャコンヌをときどき聴いています。どうも自分になにか言い聞かせたいことがあるときに私はこの演奏を選んで聴くようです。 *** |
2013年7月23日 | プログラム届く |
来月に開かれるピアノリレーマラソンのプログラムが届きました。2日に渡りますが私がエントリーした1日目には計87組がエントリーしていて、存じ上げている方もいらっしゃいます。曲目は子どもさんはレッスンや発表会で弾かれる感じの曲が中心で、大人の方はクラシック2/3、ポピュラー1/3ぐらいの割合です。翌日のプログラムはまだ入手していませんが、可能であれば当日ともども聴きたいと思っています。 少し前からグリーグの「ホルベアの時代から」op.40の前奏曲が取り上げられることがあるのですが、今年は(1日目は)3名の方がそれぞれ弾かれるようです。当日3名以上の方に取り上げられている曲は他にはなく、「エリーゼのために」や「人形の夢と目覚め」といった有名曲でも2名なので、このホルベアの前奏曲はこれまでの知名度のわりには図抜けています(そういえばテレビ番組のオープニングに使われているという噂を聞いていますがまだ確かめていません)。こういうこともなかなかないことですし、聴けるのを楽しみにしています。 グリーグは私を含めて4名です。ブルグミュラーが6名、ベートーヴェン5名(組)、バッハ、ショパン、久石譲が4名(組)で、ここに並びます(ギロックは8名ですが別格ということで)。 「春」は練習を再開しました。グランドピアノでも弾いてみました。ピアノ曲は歌曲でもなければ弦楽合奏曲でもないのだとあらためて思い知りました。ピアノで弾くということを大切にしたいと思います。指があまり動いてくれませんが、少しずつコントロールが利くようになればと思っています。このあとピアノリレーについては当日まであまり書かずに、ほかのことを書いていきたいと思います。 *** |
2013年6月28日 | 6月29日 |
あす6月29日は瀧廉太郎の命日です。今年で没後110年になります。ネットで調べると、今年は各地で、時期はまちまちですがメモリアルコンサートや公演(演劇の公演があるようです)が行われるようです。私がときどき訪ねる竹田市や大分市では29日にあわせて追悼祭が開かれるようです。あすも私は何もできそうにありません。もし少しだけ時間がとれたら、何か1曲CDで聴きたいと思っています。 *** |
2013年6月21日 | 雨 |
空梅雨と言われていたような気がしますが、すっかり雨になりました。ここではまださほど激しく降ってはおらず、あじさいやかたつむりが静かに濡れています。10年近く前のピアノリレーマラソンで、フィンランドの作曲家エルッキ・メラルティンの『悲しみの園』から「雨」を弾いたのを思い出します。あの曲はいまでも聴くのは好きですが、もう弾くことはなさそうな気がします。 グリーグの「春」、ピアノで弾くための編み直しをしてきました。グリーグの意図はこういうことなのかな…と思いつつ、でもピアノでは無理だ…と、さまざま考えながら音を削ったり位置を変えたりして、けっきょくはやはり「編み直す」という気持ちで取り組むことにしました。もう大きく変えることはないだろうな、というところまで仕上げました。 グランドピアノで弾いたときにどうなるか、まだ確かめていないので気になりますが、これからまたしばらく忙しいこともあり、予定通り寝かせようと思っています。7月下旬から練習再開するつもりです。 更新もその頃まで休もうと思います。その頃には梅雨も無事に明けていますように。 *** |
2013年6月14日 | 6月15日はグリーグさんの御誕生日です。 |
今年は170歳になられる記念の年です。私は当日多忙で何も聴いたり弾いたりできそうにありませんが、よい御誕生日になるよう祈っております。 *** |
2013年5月25日 | このごろのこと |
ピアノを弾いて録音してほしいと遠い親戚から頼まれていて、練習しています。私がピアノを習っていた子どもの頃に発表会にいつも来てくださった方で、ずいぶんほめていただいたり励ましていただいたりしていたのですが、恩返しができていませんでした。 習ったことのない「エリーゼのために」や、ピアノでは(私には)ちょっと難しい「春の海」などをリクエストされていて、曲を練習できるときはそちらに主に時間を使っています。 ピアノリレーマラソン、グリーグの「春」op.34-2(『2つの悲しい旋律』より「過ぎた春」)を弾くことにしました。この作品は歌曲「春」(op.33-2)の旋律をもとにした弦楽合奏のための作品で、グリーグ自身のピアノ編曲があるのですが、弦楽合奏版を聴いてきた感覚ではこのピアノ編曲に一部あまりしっくりこないところがあり、弦楽スコアを読みながら、ピアノ編曲とおおもとの歌曲のスコアと自分の感覚とを生かしつつ再アレンジに取り組んでいます。 実はこのひと月ほど、上のリクエスト曲の練習のほかには、「春」を弾いていました。一時期何の曲も弾く気になれない時があったのですが、ふと、それまでピアノで弾こうとはほとんど思わなかった「春」を弾いてみると、気持ちが音楽に運ばれていく気がしました。それで、「春」を繰り返し(アレンジを試しながら)弾いているうちに、しだいに他の曲もいくらか弾けるようになり、最近は上のような練習をしている次第です。 「春」はこのあとアレンジがある程度固まったら、寝かせて、ピアノリレーのひと月前頃に練習を再開しようと考えています。ひとひらの希望を感じながら弾くことができたら…と思っています。 (5月26日 文章を少し書き直しました) *** |
2013年5月4日 | おわびほか |
…まず、瀧廉太郎「憾」のページ更新の件です。2つの手稿譜をもとにしての「憾」の一解釈について書こうと草稿を作っていたのですが、あらためて資料をあたっていて、草稿に書いたことに勘違い(といいますか不詳な点)があることに気付き、当初の構想が成り立たなくなってしまいました。ここまで「憾」ページに書いてきたことには影響はなく変更もありませんが、そういったわけで、いまのところ掲載できるめどが立ちません。予告していたのに申し訳ございません。 ちなみに勘違いについて少し書きますと、「憾」の現在わかっている最終版の自筆譜が書かれたのは病身の瀧が東京から大分に移された後の1903年(明治36年)の2月だったわけですが、私は、当時大分にはピアノがなく、瀧はこの最終版をピアノなしで書き上げたものと思っていました。そう思って草稿の構想を立てていました。瀧の伝記にもピアノはなかったとしているものがあります。しかし一部の資料によると、大分在住の外国人宅(事実であれば瀧がときどき通っていた日本聖公会のブリベ司祭宅かもしれません)からピアノが瀧宅に運ばれた旨の証言があり、信憑性がよくわからないのですが(食い違いがあるように思われる他の証言もあって)、少なくともその証言に従って考えると、瀧が「憾」最終版を書いていた頃に瀧自身がピアノを弾いていた可能性があるのかもしれません。 なお、瀧は同年6月に亡くなるのですが、複数の証言によると、具合が悪くなったのは亡くなる少し前で、それまでは比較的元気だったとのことで、ずっと臥床していたわけではなかったようです。ピアノについては判然としないところがありますが、オルガンは借りていたことが判明していて、それを弾いたり、五線紙に向かって作曲をしたりしていた様子が伝えられています。年少の子どもたちに曲を弾いて聞かせていたという話もあり、しばしば「憾」のエピソードとして伝えられるような、死の床で無念さを刻み込んだ…といった様子は、少なくとも同年2月の時点ではあまり見られなかったのではないかと思われます。そうしたことをもとに、いずれ少しばかり、私なりの「憾」解釈を書いてみたいとは思っています。しばらく考えてみます。 ピアノリレーマラソン、申し込みました。いまのところの気持ちでは、グリーグのある作品を弾きたいと思っています。曲目申請はもう少し先で、もう少し考えて決めたいと思います。 *** |
2013年4月12日 | 近況 |
ここしばらく、音楽を聴いたり弾いたりするような自分の時間をほぼ出歩きにあてていたのですが、春景色も少し落ち着いてきました。最近あらためて音楽を聴くと、自分の感覚が少し変わっているのに気付きました。2月のときなどはオーケストラを聴いていたのですが、いまはまったくその気が起きません。ピアノのようにひとりで奏でる音楽をいまは聴きたい感じです。 この春に見たのは、この春かぎりでなくなってしまうかもしれない桜や、伐られることになるかもしれないさまざまな木々でした。木々は音楽を奏でませんが、そのそばにいると、彼らがおだやかに春の歌を歌っているような気がしてきます。未来の歌や過去の歌ではなく、このいまの春の歌を。そうした歌に長く耳を傾けていると、人が奏で上げる音楽がいくらか、けたたましく聞こえるようになるのかも…などと思ったりしています。 ピアノリレーマラソンの出場者募集が近づいてきました。申し込むつもりでいますが、今年は自分に何が弾けるかわかりません。例年いつのまにか無理をするかっこうになってしまいますが、今年は身の丈をふまえた選曲をして、実直に演奏したいと思います。 ※ 追伸 瀧廉太郎「憾」の明治35年稿をめぐっての話ですが、納得できるものがまだ書けていません。このあとは明治35年稿をもとにしての「憾」の解釈の話になります。事実関係について付け加えることはいまのところなく、ここからは事実に関する新展開がないかぎり、ややゆっくりペースで進めていこうと思っています。よろしくお願いいたします。 *** |
2013年3月6日 | 若干の更新(自由帳) |
この自由帳が長くなってしまったので、2006年から2010年までの分をむかしの「自由帳」インデックスからたどれるようにして、このページを半分くらい軽くしました。 他の更新にはまだ手が付けられません。「憾」明治35年手稿譜の話の続きなども載せたいのですが、少し先になりそうです。瀧廉太郎に関しては最近いろいろなサイトでいい記事や企画があるので、ブックマークページも作ってみたいのですが、また放置してしまいそうなので二の足も三の足も踏んでいます…。 グリーグのベルグリオット Bergliot op.42を久しぶりに聴きました。この作品は朗読とオーケストラのための作品で、詩人のビョルンソンがヘイムスクリングラ(北欧に伝わるサガの1つ)に題材を採った詩が朗読され、音楽と一体になって進行するのですが、詩が重くて気楽には聴けません。CDブックレットの詩を読みながら聴きましたが、グリーグの音楽はここではぎりぎりこの世界にとどまっているばかりの異様さで、しかし見事に簡潔で、聴き終わると日頃のいろいろなことをひととき忘れていました。 このごろ、音楽と「ことば」との関係をいろいろ考えています。いわゆる「うた」とは異なった、しかし別様に密接な、音楽と「ことば」との関わりがありうるのではないか、あるのではないかと、なんとなしに思っています。ベルグリオットは、自分の漠然とした考えを一歩先に進めるきっかけになりそうです。 *** |
2013年3月4日 | 瀧廉太郎ページ再々度更新 |
瀧廉太郎ページ、さきほど新規ページを追加しました。「憾」インデックスのページからリンクで飛んでごらんいただけます。長年たくさん抱えてきた懸案のひとつが解決した感じですが、ここからまた新たな「謎」が生まれてきそうです。 *** |
2013年2月27日 | 更新予告 |
最近更新している瀧廉太郎ページですが、新しくわかったことがあり、今度の週末に新しいページを追加しようと思っています。日曜夜になりそうです。今度のページは事実指摘とかんたんな推察だけで、あまりややこしくありません。 *** |
2013年2月17日 | 瀧廉太郎ページ再度更新 |
先日更新したばかりの「メヌエット」のページで、論述がうまくいっていない部分があり、書き換えました。表はそのままで、結論も変わりません。過去にアップした「憾」のページでの考察が粗く、自分でも論の運び方を忘れていました。それが影響してしまいました。 「憾」の他の手稿譜のことなど、だいぶ話を右往左往させてしまったので、いずれ概要版を作るなり全編改訂するなりして読みやすくしたいという気持ちがあります。が、できる気がしません…。また、あまり遠くないうちに、これまでの議論とは直接関係しない「憾」の話を少し書こうと思っていますので、そうなるとさらに改訂は遠のきそうです。 作曲といいますか、創作もかすかに続けています。蝋梅の曲は少しずつ少しずつ形をとってきました。また、私は断章的な曲を作るのが好きなのですが、その線上でちょっと新しい試みも始めました。こうしたことに今あまり時間が掛けられないので、気分転換を兼ねて、気分転換になる程度に続けています。そうしたこともまたいつかちょっと書こうと思います。 *** |
2013年2月15日 | 瀧廉太郎ページ更新しました |
2月14日の「憾」の作曲110年(おそらく)の日に、予告だけしておきながら長らく未掲載だった「メヌエット」自筆譜の件に触れるページを追加しました。掲載前に議論の「穴」を見つけてしまい、追加の議論を書き加えて、日付が変わるギリギリになってしまいました。「憾」インデックスのページからリンクで飛んでごらんいただけるようにしました。 「メヌエット」も広く親しまれている曲ですが、「憾」と同じように手稿譜と出版譜とで内容の食い違いがあり、やはり2段階の「継承」を経て書き変わってしまったのではないかと考えています。どちらの曲も、新たな光が当たるように願いながら、引き続き調べて考えていきたいと思います。とりいそぎ更新のおしらせまでで失礼いたします。 ※ 上、掲載した後に「パターン」に関する分析ロジックがうまく運べていないと思うようになりました。すぐに手が掛けられないので16日(土)夜に改稿したいと思います。表はそのままで、結論も変わりませんが、途中の論の運びが少し変わります。申し訳ございません。 *** |
2013年2月12日 | 更新予告 |
先日、瀧廉太郎「憾」ページを更新しましたが、今度の2月14日が「憾」の作曲110年にあたります(おそらく)。この日にもう1ページ、懸案だった「メヌエット」自筆譜の件に触れるページを追加して、「憾」の考察に一定のところまでのめどをつけるつもりです。何か突発事態が起きなければ、なんとかできそうです。 ここに来ていろいろな情報やお話をいただき、それをもとにして私もさらに調査・考察を進めることができそうなのですが、いかんせん時間と経済的余裕がなく、いまは少しばかり「書く」ぐらいのことしかできません。いつか何事か大きな展開があれば、そのときにしっかりとついていきたいと思っています。 少しばかり時間があるときに、自分では珍しいことですが、オーケストラ曲を聴いています。シベリウスの後期交響曲が多いです。年末年始に以前買ったCDを整理しながらニルセンやセーヴェルーの交響曲、ディーリアスの管弦楽曲などを聴きましたが、シベリウスの音遣いはこの時代の中でやはり独特だと思います。 私はシベリウスのピアノ曲も聴きますが、ピアノ作品と交響曲との関係性がシベリウスの場合は少し不思議なものがあります。聴き続けていたらいつか何か感得するものがあるかも…と期待しています。 *** |
2013年2月8日 | 急ぎ更新 |
瀧廉太郎ページを更新しました。最近気がついたことがあって、慎重を期すため改めて考えてみました。まだ調べものが再開できる状況にないですが、とり急ぎ、頭で考えたまでのところを載せておきます。「メヌエット」の件もなるべく早く掲載するようにします。 作業をしながらだったりその合間だったりですが、このごろはフェデリコ・モンポウやファルテイン・ヴァーレンなど現代寄りの作曲家のピアノ曲を聴いていました。この数日はまたグリーグに帰ってきています。 *** |
2013年1月6日 | 迎 春 |
今年もよろしくお願い申し上げます。 他のことに時間を割くため、しばらく更新が滞ります。春ごろ、状況が許せば、何か新しいページを作って載せたいと思っています。そのときにはここでお知らせします。 どうか風邪などにお気を付けください。 *** |