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遠い遠い夢の世界... 瀧廉太郎「憾」の自筆譜をめぐって ページ2
2008年11月18日掲載 2017年5月29日新訂第1版掲載 2019年2月22日訂正

 

瀧廉太郎「憾」の自筆譜をめぐって ページ2
「憾」自筆譜と現在出版されている楽譜との相違点

 最初のページ(ページ1)に書きましたが、「憾」には、瀧の自筆と見られる手稿譜(手書きの楽譜)が存在することが知られています。その手稿譜は、現在一般に広く出回っている出版楽譜(ページ1のリストにあるミューズテック版を除いて)とは内容が異なっています。ここページ2では、この手稿譜と現行の出版譜との違いを簡単に紹介します。「憾」は瀧の没後に出版されて世に出たのですが、手稿譜と出版譜との間にはよくわからない「謎」があり、次のページ3からはその問題を中心に考えていきます。
 

「憾」の手稿譜について

 松本 正(著)『瀧 廉太郎』(1995:以下、この表記は著作の刊行年を表します)(文献リスト)によると、自筆の手稿譜は3点が確認されているとのことです。それについて言及されている箇所を引用します(pp. 270−271:p. とpp. はその著作内の該当するページを表します。pp. は複数のページにまたがる場合の表記です):
 (...)この作品は、「メヌエット」と併せて『音樂』(東京音楽学校学友会雑誌)の付録に収められた後、昭和四年に『瀧廉太郎氏遺作 日本風の主題によれる二つのピアノ獨奏曲』として公刊された。いずれの出版物の楽譜にも「明治三十六年二月十四日」の作曲年月日が付記されている。
 自筆の手稿譜は三点が確認されている。うち一点に「明治三十五年十月三十一日」の年代記入があり、作品の構想は、これ以前からあったことが知られる。
 記譜内容が明確に判明している手稿譜は、「Bedauernswert 憾」の標題と「Den 14 Februar 1903」(筆者注:ドイツ語で1903年2月14日の意、1903年は明治36年)の日付の入った自筆譜である。出版譜の日付と一致することから草稿譜ではなく完成稿と考えられるが、内容において出版譜とは相違がある。

 現在演奏の際に用いられている「憾」の楽譜は昭和4年の出版譜に準じている(松本, 1995, p. 272)とのことです。
 ここに言及されている手稿譜のうち、1903年2月14日の日付がある手稿譜は、そのコピーが『大分県先哲叢書 瀧廉太郎 資料集』(大分県教育庁文化課, 1994)(文献リスト)に全ページ掲載されていて、その内容を確認することができます。図2-1にその冒頭部分を示します(以下、図・表・譜例の番号は「本コーナーのページ番号-そのページ内での通し番号」です)。
 本コーナーではこの手稿譜を、1903手稿譜と呼ぶことにします。本コーナーで1903手稿譜の内容を取り上げる際は原則として『瀧廉太郎 資料集』に掲載されている1903手稿譜の譜面から取り上げます。なお、『瀧廉太郎 資料集』には昭和4年の出版譜も掲載されています。
 
図2-1
図2-1 1903年2月14日付の手稿譜(1903手稿譜) 冒頭部分
出典:大分県先哲叢書 瀧廉太郎 資料集, p. 443
 

「憾」1903手稿譜と現行の出版譜との違い

 上の松本(1995)からの引用にもあるとおり、現在一般に広く出回っている楽譜と1903手稿譜とは内容の相違があります。昭和4年の出版譜と現在一般に広く出回っている楽譜との間にも若干の相違があり(注1)、それについても後で触れますが、ここではまず、現行の出版譜として全音楽譜出版社ピアノピース版(ISBN4-11-911402-3)(注2)を取り上げ、1903手稿譜とどのように異なっているか、譜例でくらべてみます(注3)
 
★おことわり:本コーナーでは、小節番号は繰り返し部の1回目カッコ・2回目カッコを「個別に数え上げない」方式で数えています。第17小節の次にある繰り返し2回目カッコの小節は「第18小節」でなく「第17小節(2回目)」と表記し、その次の小節を「第18小節」としています。なおこの方式は、ペータース社・ヘンレ社などドイツ系出版社の楽譜にみられる小節番号設定を参考にしたものです。
 
 まず「憾」の冒頭部分を見ます(譜例2-1)。上が「憾」全音ピアノピース版(以下の説明では「現行譜」と書きます)、下が1903手稿譜です。現行譜にはmfの指示がありますが、1903手稿譜の指示はfです。
譜例2-1 現行譜
現行譜
 
譜例2-1 1903手稿譜
1903手稿譜
 
譜例2-1 「憾」現行譜と1903手稿譜との比較 冒頭部分
 
 譜例2-2は第18−22小節です。1903手稿譜には強弱記号や発想記号がありますが、現行譜にはこうした指示はみられません。
譜例2-2
現行譜
 
譜例2-2
1903手稿譜
 
譜例2-2 「憾」現行譜と1903手稿譜との比較 第18−22小節
 
 譜例2-3は第30−38小節です。第32小節および第34小節の右手の旋律の音価が異なっているのがわかります。また強弱やテンポの指示が1903手稿譜には多く記されているのに対して、現行譜にはcrescendo記号が1箇所あるだけです(このcrescendoは1903手稿譜には見られません)。
譜例2-3
現行譜
 
譜例2-3
1903手稿譜
 
譜例2-3 「憾」現行譜と1903手稿譜との比較 第30−38小節
 
 譜例2-4は第52−56小節です。現行譜には強弱などの指示はなく、現在「憾」が演奏されるとき、この部分は多くの演奏でcrescendoされていますが、1903手稿譜にはdecrescendoの指示があります。
譜例2-4
現行譜
 
譜例2-4
1903手稿譜
 
譜例2-4 「憾」現行譜と1903手稿譜との比較 第52−56小節
 

 

 参考までに、私が読み取ったかぎりでの、全音ピアノピース版現行譜と1903手稿譜との相違点を表2-1に挙げます(上の譜例に挙げたものを含む)。
 
表2-1 全音ピアノピース版現行譜と1903手稿譜との相違点
小節 相違点
1 強弱:現行譜はmf、手稿譜はf。
現行譜には運指が記載されているが、手稿譜にはない(手稿譜で運指が記入されているのは第37小節の分散和音のみ)。
7 現行譜にはcrescendo記号があるが、手稿譜にはない。
8 現行譜にはdecrescendo記号があるが、手稿譜にはない。
右手の音符・休符の音価:現行譜は{付点4分-タイ-付点4分}、手稿譜は{付点4分-タイ-4分・8分休符}。
13 現行譜にはcrescendo記号があるが、手稿譜にはない。
14ー16 現行譜では右手に8va記号がかかっているが、手稿譜にはない。
手稿譜には第15小節第2拍から第16小節第1拍にかけてdecrescendo記号があるが、現行譜にはない。
17 1回目の左手:現行譜では第3拍の和音は(低い音から表記){f-a-cis}であるが、手稿譜では第1・2拍と同じ{f-a-c}である(cへの臨時記号#は第4拍に付いている)。
また手稿譜では1回目・2回目とも第3拍のところにrit.の指示があるが、現行譜にはない。
18 手稿譜にはpおよびlegatoの指示があるが、現行譜にはない。
22 手稿譜にはmfの指示があるが、現行譜にはない。
26 手稿譜にはpの指示があるが、現行譜にはない。
30 手稿譜にはmfの指示がある(現行譜にはない)。
現行譜には第3拍から第6拍にかけてcrescendo記号がある(手稿譜にはない)。
32, 34 右手の音符の音価:現行譜は{付点4分-タイ-付点8分・16分・8分}、手稿譜は{付点4分-タイ-8分・8分・8分}。
手稿譜には第32小節にfの指示があるが、現行譜にはない。
33 手稿譜には、第3拍のところから"von hier wenig eilig"と読める指示が書かれている(現行譜にはない)。
36 手稿譜には、第4拍のところにrit.の指示がある(現行譜にはない)。
37 分散和音の運指:現行譜は左手5-1-3-2-1-2-右手1-2-4-5、手稿譜は5-1-2-1-2-4-4-2-1-3(手の左右は無記入)。
下段の最高音:現行譜はcis、手稿譜はc(♯記号がない)。
また、現行譜にはペダル記号があるが、手稿譜にはない。
38 手稿譜にはTempo I, fおよびMarcatoの指示があるが、現行譜にはない。
44 現行譜にはcrescendo記号があるが、手稿譜にはない。
45 現行譜にはdecrescendo記号があるが、手稿譜にはない。
手稿譜には右手・左手とも第1拍にアクセント記号があるが、現行譜にはない。
46 手稿譜にはmfの指示があるが、現行譜にはない。
49 現行譜では左手第2拍からのcに対して臨時記号♯が掛かっているが、手稿譜には臨時記号がない。
50 現行譜にはcrescendo記号があるが、手稿譜にはない。
52ー55 手稿譜には52小節第4拍から55小節第4拍にかけて"Decres...cen...do."の指示があるが、現行譜にはない。
56 手稿譜にはffおよびPrestoの指示があるが、現行譜にはない。
60-64 現行譜にはペダル記号があるが、手稿譜にはない。
63 右手第2拍の和音:現行譜は{d-a-d}、手稿譜は{d-f-a-d}。
表2-1の注:リンクが張ってある小節は、クリックすると手稿譜のその箇所が別ウインドウで開きます。
 
 上の表2-1に挙げた点のほか、1903手稿譜には文字や記号のような書き込みが数カ所あります。それらの中にはいくらか興味深いものもありますが、機会をあらためて検討したいと思います。
 

1903手稿譜と出版譜の間の「謎」

 全音ピアノピース版および現在出版されている「憾」の楽譜の多くは、すでに述べたように、昭和4年に出版された遺作出版譜と内容がほぼ同じです。松本(1995, p. 272)で述べられているように、これら現行の出版譜の多くは、昭和4年の出版譜が「もと」(底本)になっているものとみられます。
 松本(1995)は手稿譜と出版譜(『音樂』付録および昭和4年出版譜)との相違点をふまえ、強弱記号や速度記号、発想標語といった点で手稿譜のほうに細かい配慮がみられる(p. 271)、このことは出版譜の原本となった手稿譜が別に存在していたことを窺わせる(p. 271)と述べ、1903手稿譜とは違う別の譜面がこれら出版譜の原本に使われた可能性を指摘しています。そして1903手稿譜については彼自身の演奏上の細かい解釈を書き込んだ楽譜ではなかったろうか(pp. 271−272)としています。
 
 しかし、ここでひとつの「謎」があります。はじめに引用した松本(1995, pp. 270-271)の文中にもあるとおり、昭和4年出版譜には「明治三十六年二月十四日 瀧 廉太郎 作」の記載があります(図2-2)。この日付は1903手稿譜の日付と同じです。つまり、上に挙げたような多くの相違点を持つ2つの楽譜に、どういうわけか、同一の日付が記されているのです。
 
図2-2
図2-2 昭和4年出版譜 冒頭部分
出典:大分県先哲叢書 瀧廉太郎 資料集, p. 437
 
 同じ日付を持つ1903手稿譜と昭和4年出版譜とでそこに書かれている音楽の内容が違うということは、いったいどういうことなのでしょう。もし昭和4年出版譜が1903手稿譜とは別の譜面をもとに制作されたのだとすると、その別の譜面にも1903年2月14日の日付があるのでしょうか。瀧は同じ1903年2月14日に、それぞれ内容が異なる2つの「憾」の譜面を書き上げたということなのでしょうか。それは考えにくいように私には思われます。
 
 「憾」について詳しく述べている海老澤 敏『瀧 廉太郎 夭折の響き』(2004)(文献リスト)は、上の「瀧廉太郎 資料集」および松本(1995)をふまえながらも、1903手稿譜が「憾」の決定稿であると考え、この自筆譜に見られるさまざまな表現上の指示、テンポやデュナーミク(音力法)の追加は、(中略)出版譜上に印刷され、そして後世のピアニストたちがその楽譜を用いて演奏するよう、彼が望んだことではなかったろうか(pp. 30−31)と述べています。その上で、1903手稿譜と印刷譜との指示の相違について、「憾」の初版譜は松本(1995)の指摘のように別の手稿譜を原本としたものと思われるが、瀧がその草稿譜に訂正あるいは補筆を加えたのだろうとしています(注4)
 
 しかし、もし瀧が後の出版譜の原本となる「別の手稿譜」を完成させた後、それまでに書いた草稿譜を元にして(訂正・補筆して)1903手稿譜を清書し完成させたとすれば、1903手稿譜と昭和4年出版譜にある日付が同じであるというのはどういうことなのでしょう。その「謎」は残ります。
 
 同じ日付を持ち、かつ別の内容を持つ1903手稿譜と昭和4年出版譜とはどのような関係にあるのでしょうか。それについて、別の資料を用いて独自に検討を行いました。
 
ページ3に続きます)

 
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注:
(1) 昭和4年の出版譜(若狹萬次郎編、共益商社書店刊)と全音ピアノピース版など現行の多くの出版譜との大きな違いは、現行の多くの出版譜では第58小節の右手第1拍・左手第4拍から第60小節の右手左手第1拍にかけて8va記号が掛かっているのに対し、昭和4年出版譜にはそれがないという点です。次の注(2)にも一例を示しますが、昔の「憾」印刷譜面ではこの8va指示が欠けていることがしばしばあります。この8va指示は1903手稿譜にはあります。したがって、この点については現行の出版譜は1903手稿譜と一致していることになります。このことについてはページ4で触れます。 
(2) 全音ピアノピースにも印刷年代による版の違いがあり、私が持っている古い版(表紙が唐草みたいな模様のもの、1979年ごろ発行?)では、第58小節から60小節にかけての8va記号が欠けている、英文タイトルが"Regret"でなく"Grudge"となっている...など、現行の版と異なる部分があります。 
(3) このページに掲載している譜例の作成にあたっては、符尾の向きは現行譜・1903手稿譜ともに原本の譜面の表記を採りましたが、符尾に対する符頭の左右位置は1903手稿譜では現在の慣例と逆になっているものが多く、すべて現在の慣例に従って作成しました。 
(4) このウェブページに書いてある内容はこの海老澤(2004)の刊行前、2003年の時点でほぼ書き上げており、ページ3に掲載している別資料による検討もその時点で実施済みでした。本ページの最初の版をウェブ掲載するに当たり、海老澤(2004)の陳述や主張の紹介と、それに関する議論とを追加しました。この新訂版でも旧版の論述の流れを踏襲しましたが、子細な議論を省きました。 

このページの改訂履歴:
2019年2月22日.『大分県先哲叢書 瀧廉太郎 資料集』(大分県教育庁文化課, 1994)の刊行年を、誤って1997年と書いていましたので、訂正しました。申し訳ございませんでした。 
2017年5月29日. 新訂第1版を掲載しました。旧版では既往文献の見解に関する議論など細かな議論を書いていましたが、それらを省いて大筋が見えやすくなるようにしてみました。

筆者より:
...もしこのページの記載事項に誤った点があるようでしたら、ぜひ筆者までお知らせくださいますようお願い申し上げます。情報・ご意見もいただければと思います。
いろいろ行き届いていない点が多々あるかと思います。素人仕事ですが、少しずつ検討とページ改良を進めていきますので、よろしくお願い申し上げます。

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