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遠い遠い夢の世界... 瀧廉太郎「憾」の自筆譜をめぐって ページ6
2013年3月3日掲載開始 2017年5月29日新訂第1版掲載 2019年3月22日記事中URL修正

 

瀧廉太郎「憾」の自筆譜をめぐって ページ6
「憾」明治35年10月31日付の手稿譜について


 
 たびたびの繰り返しになりますが、ページ1で書きましたように、「憾」には、出版されている楽譜とは異なった内容を持つ、1903(明治36)年2月14日付の手稿譜が存在している(いた?)ことが知られています。ページ2からページ4にかけて、その1903年の手稿譜(以下、ここまでと同じく1903手稿譜と呼びます)と現在広く入手できる現行の出版譜(ミューズテック版は自筆譜に準拠した楽譜なので例外です)との相違点を挙げ、過去に公刊された楽譜と比較分析して、現行の多くの楽譜を含む過去の刊行譜は1903手稿譜が「おおもと」ではないかと考察しました。
 
 ところで、ページ2で書きましたように、「憾」には(少なくとも)3種類の手稿譜が存在すると言われています。1903手稿譜はそのうちの1つで、他の2種類の手稿譜については詳細がわかっていません。
 ただ、その手稿譜のうちのどれかが過去にテレビ番組の画面に映ったという話が、かねてから言われていました。それは、1993年、瀧の没後90年に日本テレビ系列で放送された「知ってるつもり?!」の瀧廉太郎の回で、このとき「憾」の手稿譜が画面に登場し、しかもそこには「ドクター!ドクター!」という書き込みがあったと言われていました。
 私はその当時すでに瀧に関心を持っていましたので、私自身まちがいなく当時見たはずで録画もしたはずなのですが、録画が見つからず、内容を振り返ることがまったくできずにいました(本コーナーの旧版ではページ2でこの話に触れていました)。
 
 その「知ってるつもり?!」瀧廉太郎の回の映像(一部)録画を、私がこうした考察をしていることを知ったある知り合いの方の御厚意で、個人的に見させていただくことができました。その画面に、「憾」の手稿譜が映っていました。録画が残っている部分が短く(番組の後半8分弱)、番組の他の部分でどのようなものが映っていたかまではわかりませんが、録画の保存状態がかなりよく、しっかり見させていただきました。
 その結果、画面に映っている「憾」手稿譜が、1903手稿譜と、少なくとももう1つの別の手稿譜であることを確認しました。つまり、少なくとも2種類の手稿譜が映っていました。1903手稿譜と違う別の手稿譜のほうには日付が「明治三十五年十月三十一日」とあるように読め、記譜されている音楽内容も1903手稿譜とは各所で大きく異なるものでした。題字・サインは画面ではよくわからないものの、音符等の筆跡は1903手稿譜とよく似ているように見え、瀧の他の曲の自筆譜とも似ていました。
 その「明治三十五年十月三十一日」の手稿譜に、見た目「Doctor Doktor」と読める筆記体の文字が第16小節から第17小節にかけての下(第21小節から第22小節にかけての上)に書かれていて、これがかねてからの話で聞いた書き込みであろうと思われました。ちなみにこの書き込みについては、番組のナレーションで特に強調されて言われ、映像でもアップで映し出されていました。
★ その部分の譜面が映された映像から譜面の該当部分を模写したものを画像で用意しています。あくまでも「模写」で、実物の譜面と同じとは限りません。ご覧になられるには次のURLをブラウザに入力してください。この画像が実物の譜面として出回ったりするなどの使い回しを避けたいので、直リンクをしていません。ご理解くださいますようお願いいたします。
http://draume.g3.xrea.com/taki/res/urami_m1902-10_mosha.html
 
★おことわり:本コーナーでは、小節番号は繰り返し部の1回目カッコ・2回目カッコを「個別に数え上げない」方式で数えています。「憾」第17小節の次にある繰り返し2回目カッコの小節は「第18小節」でなく「第17小節(2回目)」とし、その次の小節を「第18小節」としています。
 
 画面上で見るかぎり、その「明治三十五年十月三十一日」付手稿譜は1903手稿譜と次のような点で大きな違いが見られました:
 
(1)第1小節左手第2・第3拍和音のd音がない(f-aの2音のみ)。第2小節は1903手稿譜・現行譜と同じ和音。以下この組み合わせで同形の様子。再現部でもそのように見える。
 
(2)第16小節左手第4拍からの和音がf-a-des(1903手稿譜および現行譜ではf-b-des)。
 
(3)中間部の右手旋律は最初単音で始まり、途中のどこかから(たぶん1903手稿譜で第32小節に当たる箇所から)1903手稿譜・現行譜同様のオクターブになる。1903手稿譜で第24小節から第31小節までに相当する部分が見当たらない。中間部左手のリズムは一貫して第一部のリズムと同じ8分音符基調。
 
(4)コーダ(1903手稿譜でPrestoになる箇所)が数倍長く、リズムの組み方は1903手稿譜(および現行譜)と同じだが、1903手稿譜(および現行譜)のようにアルペジョ的な上行下行ではない様子(どうも半音階進行の往復のように見える)。
 
 このほかに、1903手稿譜でオクターブでとっている左手バスを単音でとるなど、様々な違いがありそうに見えましたが、画面の明瞭さの問題で、断定しづらいものが多いです。
 
 継承説の議論で問題にした第17小節(反復1回目)の左手和音は、1903手稿譜と同様に、f-a-cが3拍、e-a-cisが3拍でした(この部分は大写しになったのでまちがいありません。模写画像の上半分、中央から右にかけてが当該小節の左手部分です)。また、1903手稿譜において中間部の右手リズムが1小節ごとに異なる部分は、少なくとも1903手稿譜での第34小節にあたる小節では現行譜の多くと同様に(つまり、1903手稿譜とは異なり)前後の小節とリズムが共通していました。いっぽう第32小節にあたるほうは1903手稿譜と同様の付点無しリズムであるように見えました(画面上とてもわかりにくかったですが、音符の「旗」の部分がそう見えました)。加えて、大写しになった第17小節付近には1903手稿譜にも現行譜にも見られない多数のクレシェンド・デクレシェンド松葉がありました。瀧の晩年の歌曲「荒磯の波」にもピアノ伴奏にこれと似た強弱の「波」があり、共通性を感じました。
 現物をあたったわけではなく上の見取りの信頼性については保留をせざるをえませんが、たしかに上のようであるとするとそれらの事項は、この画面上の「明治三十五年十月三十一日」付手稿譜が瀧の「憾」自筆譜であり、かつ1903手稿譜よりも「前」の時点の草稿譜であるということを強く窺わせます。この手稿譜がもし現存しているなら、「憾」の制作過程を知り瀧の音楽的意図を探究する上できわめて重要な資料になると考えられます。

 
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このページの改訂履歴:
2019年3月22日.  本コーナーのサイト移転にともない、文中のURLを修正しました。
2018年10月1日.  第16小節左手和音の違いを書き忘れていました。明治三十五年十月三十一日付手稿譜と1903手稿譜との違いについて箇条書きで書いている箇所に、(2)としてその件を加筆し、番号を振り直しました。
2017年5月30日〜31日.  模写画像の取り扱いを変更し、関連する文面を書き改めました。
2017年5月29日.  新訂第1版を掲載しました。旧版ページ2の話に関して適切に書き改めたほか、「起源」を「おおもと」に書き換えるなど微細な変更をしました。

筆者より:
...もしこのページの記載事項に誤った点があるようでしたら、ぜひお知らせくださいますようお願い申し上げます。情報・ご意見もいただければと思います。
いろいろ行き届いていない点が多々あるかと思います。素人仕事ですが、少しずつ検討とページ改良を進めていきますので、よろしくお願い申し上げます。

 
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